文字サイズ:
  • 標準
  • 拡大

ウェルネスとーく

医療・健康・介護のコラム

[仮面女子 猪狩ともかさん](上)車いすでも史上最強 「待っていてくれる人がいたから」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

多くの応援に「どん底までは落ちなかったです」

id=20200205-027-OYTEI50004,rev=3,headline=false,link=true,float=left,lineFeed=true

――だんだん深刻な状況がわかってきたときは、どんな気持ちでしたか。

 まず、ライブができないって思って、それが一番ショックでしたね。生活うんぬんよりも、そっちが一番に浮かびました。

――すごく落ち込みましたか。

 どん底まで落ちるということは、なかったです。私が事実を知る前から、家族が「車いすでも、あんなことも、こんなこともできる」って前向きな言葉をかけてくれたので。でも、私からしたら、「どうせ治るのに、どうして、そんなことばかり言うんだろう」って、ちょっと不思議に思っていました。

 「歩けなくなって、死にたいって考えたんじゃないか」って思われるかもしれないですが、そこまではいきませんでした。アイドルだったおかげで、たくさんの人が応援してくれました。普通の会社員だったら家族や友人だけの応援だったと思いますが、ニュースでも取り上げてもらい、事故前からのファン以外にも応援してくれる人がどんどん増えて、それは救いだったなって思います。

4か月後にライブ復帰 「この景色を見るためにリハビリ頑張った」

――アイドルをあきらめたこともなかった?

 あきらめるというより、「どうやってアイドルしたらいいの?」って考えていた感じです。メンバーやファンの方が待っていてくれたので。

――事故から4か月後、車いすでライブに復帰したときはどんな気持ちでしたか。

 感動的でした。この景色を見るためにリハビリをがんばっていたんだなって思いました。

――リハビリは今も?

 週に1、2回は通っています。最初は、自分である程度、行動できるようになるための基本動作を学び、今はどちらかというと、その技術の維持ですね。車いすからベッドに移る時など、ヨイショって力がいるので、腕がたくましくなりますね(笑)。

――ライブはどのくらいのペースで出ていますか。

 週1回出られたらいいかな、というペースです。それでも、出るとファンの人から元気をいただけます。以前のように踊れないもどかしさはありますが、最近は、車いすでも結構動けるようになりました。

いがり・ともか
 1991年、埼玉県生まれ。管理栄養士の専門学校卒。2014年5月、秋葉原を拠点とする地下アイドルグループ「仮面女子」の研究生として芸能活動開始。17年2月から仮面女子の正式メンバー。18年1月から19年9月まで仮面女子のユニット「スチームガールズ」のリーダーを務めた。18年4月、強風で倒れた看板の下敷きになり、腰を骨折、脊髄損傷で歩けなくなったが、4か月後に車いすでステージに復帰した。5月に初の著書「100%の前向き思考 生きていたら何だってできる!  一歩ずつ前に進むための40の言葉 」(東洋経済新報社 1400円税別)が発売される。

2 / 2

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • チェック

wellnnesstalk1-200

ウェルネスとーく

 あの人が、いつも生き生きしているのはなぜだろう。

 健康、子育て、加齢、介護、生きがい…人生の様々なテーマに向き合っているのは、著名人も同じ。メディアでおなじみの人たちが、元気の秘密について語ります。

ウェルネスとーくの一覧を見る

最新記事