鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
医療・健康・介護のコラム
「合わせる顔がない」姉に、やっと電話ができた1週間後…終末期を考えるACP よりよく生きるために
「ここで生活できるのかな…」
肝臓がん手術後、再発し、治療は続けてきたが効果がなく、「積極的治療はしない」という希望で自宅療養している73歳の男性患者。妻とは離婚し、子どもはおらず、一人暮らし。故郷の姉とは、お酒のトラブルがもとで疎遠となっていた。隣県に姉の娘( 姪 )がいる。最期まで在宅で暮らすという明確な希望が最初からあったわけではなかった。
一人暮らしの家は掃除が行き届いていなかった。訪問看護師は、患者が生活していけるよう、ヘルパーと協働しながら環境を整え、訪問医とも連携し、痛みを抑えるマネジメントをしていった。人の手を借りながら生活していくことに少しずつ慣れてきた矢先、患者の方から、「自分は1人だから、最後は老人ホームに入り、肝臓の病気で死んでいくと思っていたけど、こうやってみんながいろいろしてくれて、ここで生活できるのかな……」と、ぼそっと言った。
訪問看護師はこの男性の思いを聞き、今後のことを一緒に考えていくいいタイミングだと思ったそうです。本当に最期まで家で暮らしたいのか、急変した時どうするのか、疎遠の姉との連絡はどうするか、金銭の管理や死後のことはどうするのかなど、男性の意向を聞く必要があると考えていました。
看護師は、男性の「ここで生活できるのかな」という思いを共有しつつ、最期まで支援することを伝えました。そして、体の状況が徐々に悪くなると予想されるなかで、本人がどうしていきたいと思っているのか、具体的な質問を一つずつ投げかけ、話をしていきました。当然ながら、すぐに考えがまとまらないこともあります。その時は、次の訪問日に、タイミングを計りながら聞いていきました。人の気持ちは変化しますから、「最期をどこで迎えるか」については、これから考えが変わってもよいことを伝え、在宅で暮らす意向であることを確認していったそうです。
慕ってくれた姪に頼み
「姉には、もう合わせる顔がない」とのことでした。隣県に住む姪は、小さい頃、慕ってくれていたとのことで、「金銭管理や最期のことをお願いしたい」ということになりました。このような話をしていくなか、痛みが少し強くなり、家で転倒し、活動範囲が大幅に狭まりました。男性は、姉の話をあまりしたがらないので、無理に話を向けることはしませんでしたが、体の状態が悪くなっているなかで、「もし、お姉さんに会いたいなら、できるだけ心身の状態がよい時のほうがよいと思う」とは伝えておきました。
最終的には、姪が間を取り持ってくれ、電話で姉と話をすることができました。そして、男性はその1週間後に亡くなりました。
最期まで自分らしい生き方を
これら二つのケースから、病気を抱え、この先の体の状況、選択できる治療、対症療法などを具体的に想像できないと、リアリティーをもってACPを考えるのが難しいことがわかります。それに対する看護師たちのアプローチは、まさに患者本人が自分のACPを考える手助けをしていたように思います。
一つ目のケースでは、患者と家族の思いが異なっていました。患者が言う「何もしないでほしい」の具体的な意味を知るために、看護師が、まず「どのように生活していきたいか」を聞いていったところが印象的です。それによって、患者や家族が、これからの生き方を考えることができます。
二つ目の訪問看護のケースでは、日々のケアのなかで、本人が「ここで生活できるかな……」という思いを表出したのを看護師が見逃さず、「そのためには具体的に何が必要なのか」を、患者自身が、かかわりあう人々と共に考えていく機会を作っています。
私たちは、いつ、どこで、どのような最期を迎えるのか、誰にもわかりません。また、事前に決めておくこともできません。しかしながら、最期まで、自分らしい生き方ができるよう考えておくことはできると思います。それを実現する一つの方法がACPであり、それが、よりよく生きるための一つの方策にもなると思っています。(鶴若麻理 聖路加国際大准教授)
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