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[タレント 上原りささん](上)大学2年から「りさおねえさん」 番組60周年イベントで「あゆみおねえさん」と共演、「鼻血ものでした」
「おかあさんといっしょ」(NHK Eテレ)で「パント!」のおねえさんとして7年間、全国の子どもたちに身体表現の楽しさを伝えてきた上原りささん。昨年3月に番組を卒業し、7月からタレントとして活動を開始しました。今月29日には、子どもたちと一緒に歌って踊れる曲を収めたCD&DVDを発売し、歌手デビューします。7年間を振り返って思うことや今後の活動への抱負などを聞きました。(聞き手・藤田勝、撮影・武田裕介)
音大でミュージカル専攻
――番組での元気なイメージから、体育が専門なのかと思っていました。
よくそう思われますが、洗足学園音楽大学のミュージカルコース出身です。高校時代はチアリーディング部でしたが、それ以外に運動部の経験はありません。走るのは、長距離は苦手で、短距離が得意なタイプ。瞬発力は結構あるんです(笑)。
――ミュージカルコースを選んだ理由は?
兵庫県生まれで、宝塚に憧れていました。母親が観劇好きで、よく連れていってくれたんです。ミュージカルといえば、女性しか出ないイメージだったので、高校時代に「ミス・サイゴン」を見たときは、逆に不思議な感じでしたね。
――高校時代、実際に宝塚も受けたんですね。
宝塚音楽学校を2回受けましたが、残念ながら落ちました。狭き門でした。すごい倍率ですからね。
――ショックでしたか。
1回目はそうでしたが、2回目のときは、すでに大学に受かり、似たようなことが勉強できると思っていたので、あまりショックはなかったです。
子どものころは人と仲良くなるのが苦手だった
――大学生活は楽しかったですか。
自分が好きな、歌って踊ることを学べるのは、この大学しかないと思っていたので、合格したときは号泣しました。入学式で学長が「みなさん、卒業しなくてもいいです。中途退学してもいいので、好きなことをやって、突き詰めていってください」と言われたのが印象に残っています。両親は、本当は普通の大学に行ってほしかったようで、理解してくれたのは入学後、発表会などで私の活動を見てもらうようになってからです。
大学では、友人もたくさんできました。それぞれの活動の場は違いますが、今も親しくしています。子どものころは父の転勤で引っ越しが多かったこともあり、人と仲良くなるのが苦手で、精神的にちょっときつかった時期もありました。
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