うんこで救える命がある 石井洋介
医療・健康・介護のコラム
人生会議やってみた ~親と会う時間って意外と少ない~
あけましておめでとうございます。みなさん、新たな年が始まりましたが、お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか? 私は元日に実家に帰り、母に会ってきました。母とは別に住んでいて、普段あまり顔を合わせていません。自分の親とはいえ、大人になるとゆっくり話す時間って意外と少ないですよね。「このままのペースだと、親に会えるのはあと何回だろう?」と考えてしまいました。
昨年末に「人生会議」という言葉を耳にした方もいらっしゃるのではないでしょうか。厚生労働省がポスターの掲載を中止するなどの騒動があったことで一躍注目されました。厚生労働省によれば、「人生会議」とは自らが望む人生の最終段階における医療・ケアについて、前もって考え、医療・ケアチーム等と繰り返し話し合い共有する取り組みを指す「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」という取り組みの愛称です。家族が一堂に会する時は、人生会議を行う絶好のチャンスだと思います。実際、私の周りでもお正月に人生会議をしようと言っていた人がいましたし、私自身も親と話してみようと心に決めて帰省しました。とはいえ、いざ「人生会議しようぜ!」と切り出そうにも、どうやって自分の親と人生について深く語れるのか、よく分からなかったという方は私だけではないのではないでしょうか。
人生会議は死に方を決める会議ではない
そもそも、「人生会議」と愛称がつけられたACPは、本人が望まない延命治療を行わないことを事前に書面に記す「事前指示書」などを含む概念です。
日本では、蘇生措置拒否の取り組みを行う病院がかなり多くなっています。英語では「Do Not Attempt Resuscitation」、その頭文字をとって「DNAR」と呼ばれています。DNARは、悪性腫瘍の末期の患者などが尊厳を保ちながら死にゆく権利を守るために「心停止時に心肺蘇生を行わないように」とするための指示です。これは心肺蘇生に限られた指示なので、前述の事前指示書の中に含まれる、より狭い概念となっています。そしてDNARは心肺蘇生を「する」か「しない」かだけの指示なので、実際の医療現場では不十分なことがままあります。
私自身、救急病院で外科医をしていた時には「緊急手術を行った場合、苦痛を強く与える一方で、生命を維持できる確率は著しく低い」という患者さんが搬送されてきたことが多々あります。この場合は、ほとんどが予定していない急な事故などで突然、人生の最終段階を迎えたケースであり、家族が本人の意思を確認できない中で意思決定を迫られることがほとんどでした。実際のところ、そのような状況で家族が判断することは大変難しく、延命治療を含む緊急手術を希望される方が多かったです。
もちろん、事前に指示書を書いていたとしても、状況によって本人の意思が変わっていくこともあるため、判断が難しい局面は無数に起こり得ます。がんの末期で治療に積極的ではなかった患者さんが、孫の結婚式が決まったから出席して、できるだけ長生きもしたいと意思が変わったこともあります。病状だけでなく、家庭や人生の分岐点のような出来事は無数に絡み合っているため、一概に「延命治療はしないでほしい」という指示だけでは、結局のところ判断に迷う事例が多いという問題点があります。こうした点から、厚生労働省はDNARや事前指示書だけではなく、ACPという取り組みを推進してきました。その普及策の一つとしてACPの愛称を厚生労働省が募り、選ばれたのが「人生会議」というわけです。
人生会議ポスターコンテストやってみた
この一連の流れを受け、2019年12月22日に開催された「第3回デジタルヘルス学会学術大会」の中で「人生会議ポスターコンテスト」を行いました。この学会は、テクノロジーやクリエイティブを専門とするデジタルハリウッド大学大学院内に立ち上げられた「デジタルヘルス研究室」が主催するもので、研究員や学生が医療現場にある課題を、調べるだけでなく、自分なりに開発して形として表現することを目的としています。ITの領域では「実装する」という言葉をよく使います。
ちょうど研究室内で学会の準備を進めている真っ最中に、あの人生会議のポスター問題が起こりました。研究室内でも議論になり、「これまで全く関心がなかった人にも広がったので、啓発としては正解」「傷ついた人がいたら、啓発は失敗」「そもそも何が問題なのか分からない」――と、立場によって様々な意見が挙がりました。研究室の理念に基づき「代案のない批判はやめて、まずは自分たちなりの人生会議を考え、ポスターを実装してみようじゃないか」と、勝手にポスターコンテストを開催することになりました。一般公募した期間は1週間という短さでしたが、21作品が集まり、関心の高さを感じました。
私自身もポスターを一つ作ってみることにしました。制作にあたって考えたことは、ポスターを見た人が行動しやすくなるポイントを明示することでした。自分なりに人生会議の意味を解釈した結果、最初に作ったポスターがこちらです。結婚記念日などの節目に、夫婦でこの先の生き方・逝き方の両方を考える時間にしたらどうだろうかという提案でした。私は男性なので、自分が診てきた男性患者さんを思い浮かべながら、行動したくなるようなものを想像して作ってみました。
人生会議やってみた
このポスターを作ってみて思ったのは、「自分はあくまでも客観的に人生会議について伝えるポスターを作りはしたが、自分でも人生会議をやってみないと実際のところが分からないな」ということでした。そこで、自分の母親と人生観の話をしようと思い、母親に「命にかかわる状態で、自分では意思決定ができなくて、僕が判断しなきゃいけない状況になったとしたら、どうしてほしい?」と聞いてみました。
母 「もう長生きする理由もないし、なるべく苦しみたくないから、ぽっくり逝かせてほしい」
僕 「現代医療だと『ぽっくり逝く』って意外と難しいんだよね。できる治療もしないでほしいとも言えないしね」
母 「でも、がんとかになっても治療しないでほしいんだよね」
僕 「がんも治療しない方が苦しむものなんだ。緩和ケアも含めて、治療はした方がいいと思うよ」
母 「あぁ、痛み止めくらいはしっかりしてほしいな」
僕 「うーん、まぁそうなんだけど」
と、結果としては医師と患者のような話し合いになってしまい、人生会議の難しさを実感する結果でしたが、初めて母に人生のことを聞いたことで、大事にしたい価値観に少しだけ触れられました。
- 子どもを育てあげて、自分が大事にしてきたことはやりきったので、長生きにはこだわっていない
- 病気になった場合には、痛みや苦しみはとにかく避けたい
一方で、治療はしないでくれと言いながら、母はそこそこ高額ながん保険に入っていることも分かりました。理由を聞いてみると「自分の余命が分かったら、最後に自分の好きな場所に旅行したり、おいしいものを食べたりしてみたいから」とのこと。つまり、いつまで生きるか分からない不安から、普段は自分のやりたいことを我慢して貯蓄に回しているが、いざ寿命が分かったら、本当にやりたいことをやりたいんだということでした。
恥ずかしながら、僕は母にやりたいことがあったことを知りませんでしたし、さらに金銭的な理由で我慢していると思いませんでした。これまでは、口うるさい母をどこか敬遠してきてしまったところがあるけど、自分を育てるために我慢してきてくれたこともあるんだろうと気づき、改めて母と自分との写真を見返しました。離婚なども経て、成人するまで育ててくれたことに改めて感謝して、最期くらいは「生きてて良かった」と思える人生を過ごしてもらえたらいいなと改めて実感する機会となりました。
いきなり人生会議は難しいので 小さな活動からのおすすめ
自分の家族や大切な人の価値観や人生観に触れるのは簡単なことではないため、日常的に対話を続けていきましょう――というまとめになるのですが、そもそも「人生会議しよう」と持ち出すこと自体にかなりの障壁の高さを感じました。知人が急変した時の対応について話したいと持ちかけた時は、「死ぬときの話をするなんて、縁起でもない!」と断られたとのことでした。なので、死に際のことにフォーカスするのではなく、「人生で何を大事にしてきたのか?」「残りの人生で、何をしたいと思っているのか?」というところから話し始めてもいいかもしれません。
また、家族で急に人生観の深掘りをするのはなかなか難しいという声も聞きました。そこで、「もしバナゲーム」 というカードゲームを紹介します。
このゲームはいろいろな使い方があるのですが、たとえば1人5枚のカードを持った状態で参加者が順番にカードを引いていき、引いたカードの方が手持ちのカードよりも大事だと思ったら交換し、最後に残った5枚のカードを見せ合うことで、自らが大事だと思う価値観を人に伝える――といった、きっかけをくれるゲームです。僕の場合、「人との温かいつながりがある」「誰かの役に立つ」といったカードが最後まで残っていました。
ほかにも、厚生労働省と神戸大学が共同で開発し提供しているサイト 「ゼロからはじめる人生会議」 には、人生会議の手順やフォーマットが掲載されているので、本格的に人生会議をしようとなった場合におすすめです。
ちなみに「人生会議ポスターコンクール」の投票の結果、想像で作成した結婚記念日の作品が優勝しました。母との写真を使った作品はあまり人気なかったです。啓発ポスターって難しいですね。
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