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心のアンチエイジング~米寿になって思うこと 塩谷信幸

医療・健康・介護のコラム

信仰もアンチエイジング…ストレスから解放してくれるなら

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 今回は「信仰」について取り上げてみたいと思います。正直を言うと、米寿を迎えてもまだまだ整理のつかない問題ではありますが、「心のアンチエイジング」を語る場合に避けて通れない課題だと思っています。自分のことを少しお話ししましょう。

医師の父は、神道を信じ、降霊術も行っていた

信仰もアンチエイジング…ストレスから解放してくれるなら

 宗教に関して僕は特殊な育ち方をしました。父は内科の開業医でしたが、神道を信仰していて、家に大きな神棚の部屋がありました。さかきが供えられ、毎朝、父は靴ベラのような木片を手にして、神主よろしく祝詞をささげていました。子供たちに強制はしませんでしたが、僕はなんとなく付き合っていました。

 民間療法にも凝っていました。東大病院で「手のひら療法」なるものなどを患者に行って、大学を追われたと聞かされたことがあります。

 僕が中学の頃は心霊術に興味を持って、霊媒を招いて自宅の座敷で降霊術なるものを行っていました。部屋を暗くすると霊媒はトランス状態に入ります。やがて部屋の物が空中を飛び交い、メガホンから霊と思しき声が響き始める……というものです。

 部屋は暗くて見えにくいのですが、霊媒は椅子に座ったままで、自分の家ですからタネも仕掛けもありません。この場では、異様な出来事を物理現象と呼んでいました。

 こうして「五感に感じられない世界」の存在になじんでいました。化学の実験に熱中するような中学生でしたが、割り切れないこの世界に反発することはありませんでした。むしろ、現世の人間はのぞくべきではなく、現世の割れ目から向こうの世界が見えてしまうようなものかもしれないと考えていました。ただ、これを続けていると頭がおかしくなりそうで、心霊学の世界からは離れることにしました。

アメリカ留学でカトリックに興味を持ち、洗礼を受けた

 次に向かったのはキリスト教です。戦後の占領政策の一環で、プロテスタントの宣教師が大量に流れ込み、布教を始めていました。「お前らは罪人だがキリストを信じれば救われる」と言うだけという印象が強くて、「我思う、故に我あり」というフランスの哲学者デカルトを信奉する若者にはアピールしませんでした。

 今一つの宗教である仏教は、僕にとって、哲学としては面白く、処世術としては役に立つように思いましたが、宗教としてのめり込むことはありませんでした。

 アメリカに留学して、キリスト教の中でもカトリックに興味を持ちました。留学していたのがニューヨーク州のオールバニというところで、カトリックのアイルランド移民の街です。すぐに熱心な信者の弁護士と親しくなり、カトリシズムについて議論を交わすようになりました。

 相手は弁護士です。ああ言えばこう言うという具合で、理論闘争ではかないません。よく考えるとへ理屈めいた議論もないではなかったのですが。評論家の故・草柳大蔵さんが著書の中でカトリックの総本山バチカンのことを「詭弁の王国」と呼んだのももっともかなと思いましたが、根負けして洗礼を受けることになりました。

 近年はカトリック内部に抱える矛盾が露呈してきているようですが、僕としては、昨年来日したフランシスコ教皇に期待しています。

日本人は無神論というよりも無関心論者

 僕は一神教のキリスト教を信じていて、信仰とは究極は神と自分との関わりだと思っていますが、ただ、周囲を見渡すとその様式は様々です。

 神のような存在を否定するのが「無神論者」です。我々日本人は無神論を唱える方が多いようですが、無神論とは神概念と対決する筋金入りの立場で、多くの日本人は「無関心論者」と呼んだ方が良いように思います。日本人はむしろ汎神論的な感覚の方が多く、自然の中に神を感じ、欧米の人格神とは異なる神概念を持っているようです。

 面白いのは、生物学や物理学など基礎の研究者ほど無神論ではいられなくなることです。

 分子生物学者でノーベル賞受賞者のジャック・モノーは、その著書「偶然と必然」の序文で、「我々の役目は物質世界の法則の探求である。五感を超える世界を論ずるのは越権行為とも言える」という意味のことを言って、暗に信仰の世界を肯定している感があります。

安心立命を与えてくれるなら、アンチエイジングに役に立つ

 さて、最後に信仰とアンチエイジングとの関係は? 年齢を重ねると、宗教心が頭を持ち上げてくる傾向があるようです。いまわの際に洗礼を受けることを指して、「天国泥棒」という言葉があります。僕はそれも結構と思います。年をとるほどに平和を求めます。安らぎといって良いでしょう。これはまさにアンチエイジングの目指すところです。

 それがなんであろうと、ストレスから解放されて、身を天命に任せる「安心立命」を与えてくれるならば、アンチエイジングの一つとして、「信仰」もありじゃないでしょうか。(塩谷信幸 アンチエイジングネットワーク理事長)

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塩谷信幸(しおや・のぶゆき)

1931年生まれ。東京大学医学部卒業。56年、フルブライト留学生として渡米、オールバニ大学で外科および形成外科の専門医資格を取得。64年に帰国後、東京大学形成外科、横浜市立大学形成外科講師を経て、73年より北里大学形成外科教授。96年より同大学名誉教授。日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員。NPOアンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問、アンチエイジング医師団代表としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。

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3件 のコメント

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ストレスを減らすための信仰との距離感

寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受

こちらにこんなことを書いたのは神の声が聞こえたからだとか言うほうが、僕を嫌いな人にはウケそうですが、単純に日本社会とか学閥社会との巡りあわせです...

こちらにこんなことを書いたのは神の声が聞こえたからだとか言うほうが、僕を嫌いな人にはウケそうですが、単純に日本社会とか学閥社会との巡りあわせですね。
構造問題や歴史的経緯は個人の力ではどうしようもないので、意見を出しながら待つしかありません。
嵐の日に外で遊ばないのと同じです。
とりあえず、コストなどのややこしい特許申請などせず、デバイスは学会演題にする予定になりました。

日本で信仰者と無関心論者が極端なのは、過去のキリシタン弾圧や左翼弾圧の歴史も噛んでいるのだと思います。
そして、過重労働社会そのものが会社を宗教化している部分もあるでしょう。
信仰はしばしば法律とか道義とか超えてきますので、宗教弾圧とか派閥争いもあったわけですが、そういうシェア争いとかのやり口を知ると生き方も変わります。
公安と左翼の歴史や構造、戦いの手口なんかも参考になりますね。
積極的に使うのではなく、自衛手段です。

自分がどう考えてどう行動するかと、他人や組織が何を評価して行動するか別物なので、線引きやかわし方も含めてよく考える必要があります。
多くの人は神や悪魔=超越性や演出する権力といつでも直接対話できるわけではなく、神や悪魔の領域にむかう数学的な軸を考えたときに、どの距離感と関係性でお付き合いするのかを考える方が有益です。

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客観性と主体性と神と悪魔とフットボール

寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受

今年も阪神大震災の日を迎えました。 25年前のあの日に肉体に目に見える大きな障害もなく生き残った自分は幸福なのか、不幸なのか、考えさせられます。...

今年も阪神大震災の日を迎えました。
25年前のあの日に肉体に目に見える大きな障害もなく生き残った自分は幸福なのか、不幸なのか、考えさせられます。
物理的にもっと不幸になった人など、類似の災害や戦争も含めて山ほどいるわけですが、一方で、生き残った人間に安穏とした毎日を許すほどに神も悪魔も優しくはありません。
地震や地震ニュースを見ると、数日中の夢で必ずあの日の感覚や記憶が形を変えて出てきます。
(しばしば、5時46分に勝手に目が覚めます。)

震災を忘れないことが大事なのか、震災など忘れることが大事なのか、あるいは、神も悪魔もどちらも人間の中にある証明なのかもしれないですね。

親の趣味で医学部に入り、様々な巡りあわせで放射線科に入り、30歳から大学を離れ、自腹で医療内外の勉強や国内外のサッカーなど、常人が見れない世界にお金と時間とエネルギーを注いできて、それがどうなるのか?
完全なる客観性など、普通の人間ではなく神や悪魔の世界ですが、もしも、一般人の目線や判断を基準にすれば、あるいは、神や悪魔の領域に足を踏み入れるのが最先端の学問かもしれません。
ジャッジするのが、人間と人間社会で、必ず宗教や国家の金や権力が絡むから科学は遠慮せざるを得ないという事でしょう。

自分もいつまで生きられるのかわかりませんが、産科出血と癌治療のデバイスについて、その道一筋の専門家を照らすような天使か悪魔のような存在になろうと思ってます。
もちろん、偉い人が否定したサッカーのアイデアの応用で。

生きる事と生かされる事の違いは気分の持ちようですが、願わくば、何処か主体性を持ちたいものですね。
活かし、活かされる、それがサッカー=フットボールの神髄で、その時々に『応じて使い分けるのは、権力者である庶民にとって有用なツールであり、生き方ではないかと思います。

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神という名のフィルターで向き合う超越性

寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受

世界三大宗教も分派だらけで、新興宗教もありますが、どれだけの味方や非敵対者を作るかで人間社会での立場が決まる側面があります。 だから、キリスト教...

世界三大宗教も分派だらけで、新興宗教もありますが、どれだけの味方や非敵対者を作るかで人間社会での立場が決まる側面があります。
だから、キリスト教と王侯貴族、政府、商人は互いを利用し合ってきました。

北朝鮮の支配体制も一緒で、善悪はともかく、意思を発する主体が頂上部や上層部に集中し、中堅以下は手足に過ぎません。
逆に、手足からすれば、自己の責任や正義感の放棄によって、罪悪感を持たないでいい気楽さもあります。

自分自身は神父が校長のカトリックの学校育ちで良かったことと悪かったことがあります。
キリスト教にも良い奴から悪い奴もいるし、勝手な正義で殺戮をしたかと思えば、愛や平和を訴えたり。
そして、組織に都合の悪い奴をあまり助けてくれません(笑)。
隙あらば、偶然を装い改宗しに来ます。
逆に、プロテスタント信者の本に命を救われました。
いずれにしても、歴史を学ぶことの意味です。
他所の集団の悪事は、たいてい自分たちの集団でもその歴史の中にあります。

普通の人は自分の手の届く範囲の事しか理解も感情も及びません。
及ばないからこそ、届かない部分が暴走して、村八分だの魔女狩りだの遠隔地ナショナリズムだのやらかすわけです。(逆に、キリスト教弾圧の歴史もあります。)
なので、原理主義に走りがちな一神教ではなく、多神教の方が卑近で寛容な部分も大きいのでしょう。
もっとも、悪魔だの天使だのサブキャラがいますから、超越性に対する距離感や関係性や表現の多様性の問題だとわかります。

脳血管性認知症を思えば、年を取ると多くの人は新しい事を覚えるのが嫌になるので、信仰や殉教もアンチエイジングというかストレスを増やさない生命維持の反応というのはよく理解します。
そして、そういう人間や人間社会の持つ残虐さや暴走のコントロールを考えるために、信じるか否かは別に救済や原罪という発想を知る必要があります。

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