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鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」

医療・健康・介護のコラム

オートバイ事故で全身まひになった患者 感覚ない身体を清拭され…ケアは相手にとって「よきこと」なのか?

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 オートバイを運転中に車と衝突し、心肺停止状態で救急救命センターに搬送されてきた60歳の男性。脊髄損傷。手術をするが、四肢が完全にまひした状態となった。意識レベルはクリア。頸髄を損傷しているため、呼吸筋を動かす神経が損われており、十分に呼吸ができない状態だった。そのため、気管切開を行い、人工呼吸器での呼吸サポートが必要となった。気管にチューブが挿入されているため、発声することはできず、コミュニケーション方法は口の動きのみになった。

 患者はナースコールを押すことができないので、舌でナースコールを押す器具をセッティングした。何とか患者とコミュニケーションをとろうと、看護師が文字盤を読み上げていき、うなずいてもらうか、「水飲みたい」「喉痛い」「喉が渇いた」「苦しい」など簡単な言葉を書いた紙を作ってみたりした。口パクで何とか会話するときもあった。

 人工呼吸器が必要なくなるまで回復すること、そして、リハビリテーションの病院へ転院すること、それが患者と家族の目標だった。「絶対、頑張る。社会の役に立ちたい」と、患者は看護師に思いを伝えていた。

 最初のうちは、車いすへ移動して2時間ほど座ることができた。しかし、その後、何回かチャレンジするうちに、血圧が下がるようになり、車いすへの移動もだんだんできなくなってきた。人工呼吸器を「自発モード」(自力での呼吸に加え、十分な換気量を保つために吸気のサポートを行う)にすると、呼吸が苦しくなって眠れないこともあった。患者の目標に沿って、人工呼吸器を外せるよう、医療チームがさまざまな方法をとるも、現状では人工呼吸器を取り外すことは難しいという判断になり、呼吸器装着を継続する方針となった。

 患者は、自分の伝えたいことがうまく伝わらないもどかしさや状況が好転しないなかで、だんだんイライラしたり、話をしなくなることも多くなった。このような患者とかかわるうちに、看護師は「私たちがしているケアって、彼にとって本当に幸せなのかな?」と思ったという。

「彼にとって本当に幸せなのかな?」

 救命医療と急性期領域で長年働いてきた看護師が語ってくれたケースです。温かいタオルで全身を 清拭(せいしき) (清潔に保つこと)するけれど、患者自身はおそらく、温かいとも、気持ちよいとも感じていない。そのような状況にある患者にとって、「このケアそのものが、自分のいまの現実を思い知らされることになっているのではないか」と思ったそうです。自分たちがしているケアが、患者にとっては、「感覚のない自分」を痛烈に感じさせる行為につながっているのではないか、ということです。もちろん、そんなつもりで看護師はケアをしているわけではないのですが、一体、どのように患者と向き合っていけばよいか、悩んだそうです。

 この看護師の言葉をきいて、本当にはっとさせられました。たとえば、看護とか、ケアとかは、よきことであるという思いが多くの人にあると思います。しかし、この看護師の問い、「私たちがしているケアって、彼にとって本当に幸せなのかな?」は、私たちにケアという行為について改めて考える機会を与えてくれていると思います。

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tsuruwaka-mari

鶴若麻理(つるわか・まり)

 聖路加国際大学教授(生命倫理学・看護倫理学)、同公衆衛生大学院兼任教授。
 早稲田大人間科学部卒業、同大学院博士課程修了後、同大人間総合研究センター助手、聖路加国際大助教を経て、現職。生命倫理の分野から本人の意向を尊重した保健、医療の選択や決定を実現するための支援や仕組みについて、臨床の人々と協働しながら研究・教育に携わっている。2020年度、聖路加国際大学大学院生命倫理学・看護倫理学コース(修士・博士課程)を開講。編著書に「看護師の倫理調整力 専門看護師の実践に学ぶ」(日本看護協会出版会)、「臨床のジレンマ30事例を解決に導く 看護管理と倫理の考えかた」(学研メディカル秀潤社)、「ナラティヴでみる看護倫理」(南江堂)。映像教材「終わりのない生命の物語3:5つの物語で考える生命倫理」(丸善出版,2023)を監修。鶴若麻理・那須真弓編著「認知症ケアと日常倫理:実践事例と当事者の声に学ぶ」(日本看護協会出版会,2023年)

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6件 のコメント

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麻痺患者でも

こま

健常者だった私は脊髄の病気で完全麻痺(まひ)になりましたが、やはり感覚のないお尻でも看護師さんから、大丈夫、大丈夫と優しく言われてポンポン触られ...

健常者だった私は脊髄の病気で完全麻痺(まひ)になりましたが、やはり感覚のないお尻でも看護師さんから、大丈夫、大丈夫と優しく言われてポンポン触られると体が喜んでいるように感じました。麻痺でも気持ちは通じるものです。反対に体が麻痺になってからの方が、雑に扱われているのかどうかの感覚はさえています。思いやりがあれば患者は安心します。突然の体の感覚の変化に患者は戸惑っています。全てにおいて思いやりだと思います。

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同感です。

mayucon

すごくよくわかります。 私も看護師です。一年目の時、意識のない患者さんを前にし、自分のしているケアが「その人にとって」どうなのかといつも悩みなが...

すごくよくわかります。
私も看護師です。一年目の時、意識のない患者さんを前にし、自分のしているケアが「その人にとって」どうなのかといつも悩みながら仕事をしてあおました。どのようなことが快なのかわからないため、細かいバイタルサインの変動によって探してケアをしていました。20数年前のことですが、そのことは管理者になってもスタッフに伝えて看護を考えてもらうきっかけにしています。

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ケアを受ける人の尊厳

名無し

赤ん坊はおむつを替えてもらうことも身体を洗われることも屈辱は感じない。しかし丁寧に優しく扱われているか雑に乱暴に扱われているかはわかる。母親は赤...

赤ん坊はおむつを替えてもらうことも身体を洗われることも屈辱は感じない。しかし丁寧に優しく扱われているか雑に乱暴に扱われているかはわかる。母親は赤ん坊の快や不安を意識しながらケアをすることだろう。それが施設にいる他人でオトナとなると、看護者は一刻も早く保清という目的を果たしさえすればよくてされるがままの要介護者の快、不快など考えられないのか?野菜でも洗うかのようにゴシゴシと一心不乱に扱っても忙しいのだから許されて当然?
そのように受け取られかねない意見は、看護者の口からは聞きたくない。

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