森本昌宏「痛みの医学事典」
医療・健康・介護のコラム
「教科書に患者を当てはめる」 臓器別の医療で痛みは治せるか?
医学の教科書に書かれている通りの「病気」、ましてや「痛み」なんて、ほとんど存在しない。たとえば、「肩の痛み」ひとつをとってみても、その原因はさまざまであり、その部位のことだけを考えていては解決策は生まれない。総合的な視点で人間を 診 るといった姿勢が不可欠だ。しかし、臓器別に専門が分かれた現代の医療においては、これがないがしろにされていると言ってもよいだろう。この現在の医療における弊害を解決し得るキーワードが、「全人的医療」である。
狭い分野に細分化された現代医療
全人的医療とは、病気を臓器別に扱うのではなく、「キュア」と「ケア」の併用によって人をトータルに診るものである。ここでのキュアは、病気そのものの治療であり、ケアとは患者さんの人生の質を考えたトータルな医療を指す。わが国においても、この集学的な医療が実践できる施設の開設が望ましいが、極めて狭い分野に細分化された「臓器別医療」の存在が壁となって立ちはだかっている。
臓器別医療では、各々の臓器別に専門医がいて、その分野を担当する。たとえば、大学病院では、神経疾患を専門に扱う神経内科、呼吸器疾患を診る呼吸器科の外来を設けている、といった具合にである。医療は日々進歩し、高度化し、医師に要求される知識量は膨大なものとなってきている。より質の高い医療を提供でき得るという点では、この臓器別医療による恩恵は大きい。
しかし、こんなケースもある。
みぞおちが痛くて内科を受診した患者。胃カメラ、エコー、CT(コンピューター断層撮影)などの検査を受けたが原因はわからなかった。数日後、皮膚にぶつぶつができてきた。そこで、ようやく帯状 疱疹 であることが判明したのだ。結果的に、この患者は、不必要な検査をいくつも受けさせられるという負担を強いられたわけだ。
こうしたことを避けるためにも、初診の患者さんを専門的に担当する「総合診療科」を新設する病院が増えてきてはいるが、総合的な判断ができる医師を育成するには相当な時間を必要とするだろう、と考える。
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理屈倒れの提督のような医療人が増える理由
寺田次郎 六甲学院放射線科不名誉享受
自分自身は実際の現場で、様々な適性の有無の確認ができたので初期研修は良かったです。 過重労働適性と多くの人に好かれる適性が無いので、素直に外科系...
自分自身は実際の現場で、様々な適性の有無の確認ができたので初期研修は良かったです。
過重労働適性と多くの人に好かれる適性が無いので、素直に外科系は諦めました。
医師である前に、社会人であり、生活者なわけで、そこが崩れれば、志も維持できるものではないでしょう。
むしろ、現実を見てもその職を選ぶ志のある人を、志のない人が支えるシステムにシフトすべきです。
また、今の若手医師の大半は中高生から制度に時間や心を縛られすぎて、他の事を考える余裕がありません。
教科書や論文の裏付けばかりの試験や提出物に追われれば、教科書やその類に当てはめるしかなくなる思考の人が増えるのも仕方ない気もします。
既存の理屈を塗り替える新たな理屈は他の視点の導入や丁寧な観察から生まれます。
実は昔、エントロピーの法則の修正のヒントを某大学名誉教授に聞かれましたが、その時も、法則が当てはまらないケースの提示を行いました。
現実が理論と相反する場合、理論や前提条件の全体か部分が間違っているだけの話です。
本文で言えば、結果論として、無駄な検査に終わった検査も、胸腹部の致死性急性疾患存在の否定という意味では重要だったとは思います。
おそらく、ストレスの中での帯状疱疹でしょうか?
確かに、問診で、ピックアップできたかもしれません。
一方で、正解を当てるのも大事ですが、致命傷を見落とさない視点もまた大事です。
最近、「成績いいからって医学科来るな」という文章を見ました。
自分も、放り込まれたクチなので、20歳前後で葛藤はありましたが、家族や社会システムの圧力に逆らうより、資格や実務を得て自立する方が大事です。
そして、ノルマをこなす中でも、医療内外の様々な分野に興味を持てば、教科書外の事態にアンテナの立つ医療人も増えてくるのかもしれませんね。
志のタイミングも人それでいいんじゃないかと思います。
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