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[女優・歌手 秋本奈緒美さん](上)「企画ものジャズシンガー」でデビュー 「オールナイトフジ」司会もいきなり台本渡され
19歳でジャズシンガーとしてデビューした秋本奈緒美さん。先鋭的な音楽性のアルバムを次々に発表し、高い評価を受けた後、女優に転身してからも、映画やドラマなどでの大活躍を続けてきました。役柄で見せるクールな表情とは裏腹に、終始、明るい笑顔を絶やさずに、俳優、歌手、そして一人の女性としての現在、過去、未来について語ってくれました(聞き手・染谷一、撮影・武田裕介)。
周囲がおもしろがって「秋本奈緒美」を作っていた
――ジャズシンガーとしてデビューしたのは1982年、19歳のときでした。でも、オーソドックスなジャズを歌っていたわけではなく、気鋭のミュージシャンらのバックアップで、ロックやテクノなどの要素もミックスされた、すごく「とんがった音」を作っていました。
そういう時代でしたね。とはいえ、私自身は普通の女子高生のように、ユーミンやオフコースなどのニューミュージック、アメリカンポップス、それに歌謡曲も好きだったんです。もちろん、ジャズも聴いてはいましたが。
――意外です。ジャズを志向していたわけではなかったのですね。
いつも冗談のように言っているんですが、私は「企画もの」でした(笑)。最初にデビューが決まっていて、事務所やスタッフが「秋本奈緒美をどうやって売り出すか」を考えた結果がジャズになったんです。
――82年当時はアイドル全盛の時代でした。
そうです。同期デビューしたのは、小泉今日子ちゃんとか中森明菜ちゃんたちですからね。でも、私は身長が168センチあり、アイドルはみんな私より10センチ以上も低い。年齢も上だったので、アイドルは無理だな、と。
――それでジャズに?
最初に所属したレコード会社には、人気ジャズシンガーの阿川泰子さんが所属されていたんです。私の周囲の音楽関係者が「この線はあるんじゃないか」と言い出した。みんなでおもしろがって、「秋本奈緒美」を作っていった感じです。だから、私は「企画もの」(笑)。デビューして、1年間に3枚もアルバムを作ったのに、シングルは切らないとか。
――確かに、当時の常識からは外れていますね。でも、渦中にいたご本人はどう感じていたのですか?
何も考えていなかったです(笑)。何がなんだかわからないうちにデビューしていました。でも、歌えることはうれしかったし、何かを作っていく過程は本当に楽しかった。それに、当時、事務所から何かを強要されることもなく、素のままの自分でいられたと思います。
取材者に「ジャズのこと教えて」と逆取材
――当時も今も、芸能界に入りたい女の子はたくさんいて、オーディションに参加したり、スカウトされるように渋谷や原宿を歩き回ったりもしています。しかも、芸能界に入れた一握りの女の子も、思ったような活動をさせてもらえるとは限らない。そう考えると、幸運でしたね。
本当にそうです。隙間にうまくはまりこんだ、っていう感じかもしれません。私がオーソドックスなアイドルでデビューしていたら、全然違った展開になっていたと思います。きっと、賞レースとか、アイドルとしてどう振る舞っていくべきかとかも考えなくちゃいけなったでしょうね。
――「オリコンのチャートに載る」とか、「紅白に出る」とか?
そうそう。そういうのとは、まったく無縁で活動できました。私もそれを望んでいたわけではなかったので、幸運だったかもしれません。
――当時は取材も、「明星」「平凡」などの芸能誌ではなく、当時の「ADLIB」とか「ジャズライフ」など、耳の肥えた音楽ファンが読む雑誌ばかりだったのでは?
そうでした。音楽についてすごい知識を持つ取材の人に、「ジャズのこと、よくわからないから教えてくださいよ」なんて逆に聞いていましたね。
――走りながら吸収? まさに「オン・ザ・ジョブ・トレーニング」だ。
はい。「女の子としての夢はなんですか」とか聴かれるよりも、勉強になったし、よかったかもしれません(笑)。
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