思春期の子どもを持つあなたに 関谷秀子
医療・健康・介護のコラム
第12部 身体症状症(上)原因不明の頭痛や吐き気を訴える中1女子。背景に隠れた母親との関係は
身体的な異常がないにもかかわらず、痛みやしびれ、吐き気などの身体症状が持続して表れる。主にストレスが原因と考えられている。
都内に住むA子さんは、中学1年生の2学期頃からめまいや頭痛を訴えるようになりました。近所の内科をいくつも受診し、検査を受けてはみたものの、特に異常は認められませんでした。
それでも、徐々に症状の頻度は高まり、学校を休みがちとなりました。
原因をはっきりさせようと、大きな病院での検査も受けましたが、やはり特に問題はないとの診断でした。担当した医師からは、精神的なストレスによる身体症状症ではないかと伝えられました。そのため、母親に連れられて、A子さんがクリニックに来院しました。
両親の離婚が身体症状に?
まず、私が母子別々に話を聞きたいと伝えたところ、母親が「先に話したい」と診察室に入ってきました。
母親は、大きな病院の内科医の説明に納得しており、A子さんの症状は精神的なストレスが原因となっていると考えていました。というのも、A子さんは、小学校低学年の時に両親の離婚を経験しています。親の都合で家族が壊れたことが、娘のストレスになることは当然のことです。A子さんが、頻繁に原因不明の頭痛や吐き気を訴えている理由は、そこにあると母親は考えていました。
A子さんの父親はとても仕事が忙しい人でした。出張が多く、自宅に帰れない日もしょっちゅうでした。しかも、A子さんが幼稚園の年長だった時に、職場の部下と浮気をしたことで、さらに家庭から遠ざかってしまったそうです。
幼い娘を抱えて、途方に暮れた母親は、夫の実家に相談しました。ところが、逆に「息子は悪くない。あなたの料理が下手だから息子は帰って来ないんだ」と姑(しゅうとめ)から言われてしまったそうです。当時のことを話しているとき、母親は両手を固く握りしめて、涙を浮かべていました。
元々、明るく、素直な女の子だったから
A子さんの父親の浮気は長くは続きませんでした。半年ほどで相手の女性と別れ、再び家に帰って来るようになりました。ところが、もともと口数の少なかった父親ですが、自分のやってきたことについて、何の説明もしませんでした。
その代わり、父親の両親がやってきて、「済んだことをほじくり返さない。二度とこの話題をしないこと」をA子さんの母親に強く言い渡しました。
母親が重大な決意をしたのは、この直後のことでした。
すでに自立して、家庭を築いた一人息子を、過剰なまでに溺愛し、ことあるごとに妻である自分を責め立てる夫の両親に対しても、耐え難いほどの嫌気がさしていました。経済的にも、夫なしで生活していけるメドがたったため、ついに離婚を決断しました。
このとき、娘のA子さんに対しては、「お父さんとお母さんは一緒に暮らせなくなった」とだけ伝え、具体的な説明は何もしませんでした。
住み慣れた家を引っ越し、名字が変わったときにも、A子さんは黙ってうなずいただけ。以降も、両親の離婚については、何も聞いてくることはなかったそうです。
元々、A子さんは明るく、素直な女の子だったようです。
離婚後も、両親はA子さんのためにと、月に1度は3人で食事に出かける機会を作ってきました。さらに、メールやLINEで、A子さんが父親と自由にやりとりできるようにもしてきました。
3人でいる時のA子さんはひょうきんに振る舞い、父と母を笑わせたり、場をなごませようと気を使ってきたりしたそうです。
しかし、結果的に、A子さんが、原因のわからない不調を訴え始めたことで、母親は「やはり、離婚などしないで、私が我慢すべきだったのかもしれません」と下を向きながら小さく 呟 きました。
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HSPの記事もありましたが、大人になるということは無視や鈍感さの活用の側面もあるのに、その部分に順応できない弱さや不器用さですね。 そういう純粋...
HSPの記事もありましたが、大人になるということは無視や鈍感さの活用の側面もあるのに、その部分に順応できない弱さや不器用さですね。
そういう純粋さや優しさは強さでもありますが、いつでも、どこにでも、誰にでも優しくすることは凡人には不可能です。
少し話は飛びますが、どこの国にも神様を崇め奉る宗教があります。
おそらく、富や知識、武力、権力など個人の能力を超えたものをコントロールするための知恵であり、逆に、持て余した個人や組織の暴走も歴史に学ぶことができます。
そして、多神教もあれば一神教もあるわけですが、人間やその造物主たる神の多面性を表現したものなのかもしれません。
時に火であったり、悪魔であったりも、崇拝するわけですが、超越性とか人の理解やコントロールを超えたものとかいう補助線を引いて考えるとわかります。
神様によっては生贄とか要求するわけで悪魔とも言えるでしょう。
様々な動作に慣れが必要なのと同じく、様々な態度も慣れや我慢が必要です。
転校なんかの環境変化もそうです。
大人より子供は経験値も心身の体力も足りませんが、親が鈍感力を身に着けてしまうと、子供は板挟みになります。
子供のうちに精一杯子供をやった方が良い、というのは平和で安全な国の贅沢ですが、一方で、そういう贅沢が子供本人にとっては贅沢や幸福とは限らない難しさがあります。
端的に言えば、価値観の乖離です。
そして、多様な正義=価値観と気分をどういう風に使い分けてコントロールするかは個人も社会も課題であり、そうしたものの扱いに、個人も教師も医師も慣れていく必要があります。
いつでも完璧な人間なんていません。
しかし、集団で達成した完璧性や超越性の現実や幻想と我々は向き合いながら生きていく必要があります。
子供がそれに慣れなくて一般には不可解な症状を示すのも仕方ないです。
昔は悪魔憑きなどというものありました。
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