がんを語る
医療・健康・介護のコラム
子宮頸がん(下)働き盛りに発病、仕事復帰の壁に 「女性らしく、その人らしく」をあきらめないで
経営していた会社をたたみ、落ち込んだ日々
――仕事の面ではどうでしたか。
河村 医師からは、半年ぐらいは休養してという話もあったのですけど、手術から2か月後には職場に戻りました。後遺症で大変でしたが、とにかく早く社会復帰したいという思いがありました。仕事は県の職員で、当時は広報関係の部署にいました。年齢的に仕事も面白くなってきた頃だったんです。休んでいると自分の居場所がなくなるんじゃないかという焦りや、社会から抹殺されちゃうんじゃないかという、何か怖さもありました。ただ、ほかの患者さんたちの話を聞くと、公務員というのは休暇や保障でも制度がしっかりしているし、すごく恵まれていたと思います。
佐藤 私の場合は自分が経営者だったわけですけど、株式会社にして最初の決算月の翌日に入院し、自分で仕事ができなくなったと同時に、法人税とかが来るわけです。自営だから自分が働かないと収入がないけど、固定費用は払わなきゃいけない。せっかく頑張って会社をつくったのに、手放したくないという焦りや気持ちの空回りもありました。実はがんになる前に、エステ業界で子宮頸がんの啓発を手伝ってほしいと頼まれていたこともあり、自分のがんを隠すのもおかしいと思い、周囲にがんを公表していました。今となれば、お客さんもがん体験者とどう接したらいいのか分からなくて、足が遠のいてしまったのは当然とは思いますが。
――ご主人からは?
佐藤 子どもをあきらめさせて、性のことにも向き合えていないとか、私に負い目があって、さらにお金の相談なんてできませんでした。1年間くらいは現実に向き合えなくて、引きこもりみたいな状態でしたね。オレンジティのおしゃべりルームにだけは参加していて、ボランティアとして活動のお手伝いをしていたことが、社会復帰への後押しになったように感じます。日雇いアルバイトから徐々にはじめて、今の仕事に就くことができました。エステの経営は断念しましたが、現在はオレンジティの未来キレイプロジェクト「キレイラボ」チーフとして、がんを体験した女性のためのアピアランスケアに取り組んでおり、私自身の自己実現につながっていると感じています。
鈴木 私は子宮頸がんの告知を受けた後に勤めていた病院をやめて、今は介護施設の看護師をしています。途中、不妊治療に専念していた時期もあり、引きこもっていた時期もあります。以前は救命救急や災害医療に興味があったのですが、今は後遺症のリンパ浮腫があるため、夜勤や立ちっぱなしの仕事ができません。ですので、「体に負担なく続けられる仕事」という視点で、現在の仕事を選びました。
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