がんを語る
医療・健康・介護のコラム
子宮頸がん(下)働き盛りに発病、仕事復帰の壁に 「女性らしく、その人らしく」をあきらめないで
涙に暮れた患者会発足の初会合
――患者会の役割についてどう考えますか。
河村 32歳でがんになって、2年後にオレンジティを設立しました。これから女性として、どうやって生きていくのかといった悩みを一人で消化しきれず、他の人と分かち合いたかったのですが、なかなか同じ病気の患者さんたちに会う機会がありませんでした。何とかして話がしたいと思い、東京都内の患者会の会合に参加したところ、「地元(静岡)に自分で作ってみたら」と勧められたのがきっかけです。そこで奮起し、地元で患者会を呼びかけました。第1回は、50人ぐらいの患者さんが集まり、これだけニーズがあったんだと感じました。最初は話すどころか、ただ泣くばかりだったことを覚えています。回を重ねるごとに、みんなが自分の置かれている立場や他人の話を聞くことによって、気持ちや問題の整理をできるようになりました。これは、患者会の大きな役割だと思います。
――活動を続けられて課題はありますか。
河村 オレンジティは、2021年で設立20周年を迎えます。これまでの活動で育んできた蓄積を次世代にもつなげるため、AYA世代の患者のためのオレンジブロッサムカフェをつくりました。同年代同士で話すだけではなく、かつてAYA世代に 罹患 し、長年、後遺症と闘ってきた先輩世代の知恵を伝え、将来に備えるというオレンジティならではの強みをもった取り組みです。がん患者さんが悩むアピアランスケアに取り組む「キレイラボ」も行っています。さらに、オレンジツリープロジェクトという、がん患者の家族関係の問題についても取り組み、現在は、里親・特別養子縁組の情報提供や相談などを行っています。将来的には、親の介護なども情報提供できればと思っています。
目下の悩みは活動資金不足です。経済状況の悪化などから企業寄付などが減って、運営自体が厳しくなり、活動を縮小したり削減したりして対応していますが、患者さんからのニーズは増えています。そこで、自分たちで活動費を獲得するために現在、クラウドファンディングで寄付を募っている最中です( https://readyfor.jp/projects/orangetea )。
鈴木 手術後、後遺症のリンパ浮腫ではないかと悩んでいた時期に、話を聞いてみたいと思ったのが参加のきっかけです。洋服や下着、靴も全部買いかえなければいけないくらいに体形が変わってしまい、一体どういう洋服を着たらいいのかわからなくて困っていた時に、リンパ浮腫の相談ができるオレンジティの存在は大きかったです。
――いつ頃の時期ですか。
鈴木 手術の半年後くらいの時です。精神状態もいいときばかりではなく、家族以外の人と話せない時期もあり、1年ぐらい参加できない時期もありました。毎月開催しているので、今は参加できないけれどいつでも受け入れてくれる場所があるオレンジティは「お守り」のようでした。
――会では里親・特別養子縁組の取り組みにも力をいれていますね。
河村 医学的には、卵子の凍結だったり、最近では子宮の移植であったりといった話題も出ています。しかし、実際に出産にまで至る例がどれほどあるかというと、厳しいのが現実です。代理母を考えて、自分の凍結卵子を受け取ろうと病院に頼んだら、院外へは持ち出し禁止ですと言われ、断念したという話もありました。そういった中で、取り組んでいるのが里親・特別養子縁組の啓発です。
――きっかけは何ですか。
河村 児童相談所に以前勤めていたので、制度の知識があったのと、私自身が里親になろうと思ったのがきっかけです。ただし、重要なのは、これは子どもたちのための制度であるということです。実際に里親登録をして養子縁組などの話が来ても、なかなかまとまらないことも多いです。しかし、この制度は、がんになり子どもを持つことができなくなった私たちのための制度ではなく、あくまで社会的養護が必要な子どもたちが、安心して成長するための社会福祉制度であることを、皆さんにお話をしています。
――里親登録をする人は多いのですか。
河村 里親登録をしたくても、できない人も多いです。自分は望んでも家族の賛成を得られないケースや、そもそも自分の病気に負い目を感じて家族に言い出せない人もいます。
――河村さんの場合は?
河村 私は、12年前に里親登録をして、4年前に特別養子縁組をしました。
鈴木 私は1年前に登録してこれまで20人くらいのお子さんの紹介があったのですが、ご縁にはつながりませんでした。河村さんにも相談しているのですが、まとまらないと、なかなかつらいですね。
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