鶴若麻理「看護師のノートから~倫理の扉をひらく」
医療・健康・介護のコラム
紛争地でけがを負った女性 治療のため服を切ろうとしたら…看護師に求められる「想像力」
いままで、看護師が、日本の病院の臨床現場で直面する違和感や葛藤についてお伝えしてきました。今回の舞台は海外です。世界中いろいろなところで紛争が生じていますし、地震などの災害によっても人々の生活は一変します。そのような場で、多くの看護職が救援活動や公衆衛生活動を行っています。
紛争が続くパキスタンにある仮設の戦傷病者医療病院での出来事。病院に近い小学校付近で、比較的小規模なテロがあった。小さな子どもたちや学校の教師が複数負傷し、次々と病院に運ばれてくる。外科の外国人スタッフが「トリアージ」(災害などで多数の傷病者が出た場合に、傷病の緊急度や重症度に応じて治療の優先度を決めること)を行い、それに従って患者の治療に当たっていく。複数の重傷者を治療した後、砲撃弾により腕から足にかけて外傷をおった20代女性の処置に当たることになった。比較的軽症と判断された。女性は、たまたま小学校の近くを歩いている時に被害にあった。右側の腕から足に複数の外傷があり、血を流し、意識が 朦朧 としている状況だった。患者はイスラム教徒であり、伝統的なワンピースとスカーフを巻いていた。看護師は、患者のけがの状況から、腕だけではなく腹部など、他にも外傷がないかどうかを調べる必要があるので、日本の現場での経験から、ハサミでその女性の服を切り、速やかに治療に当たろうとした。その時、現地の救急の男性看護師が、「ハサミを使わないで、脇の縫い目をほどいて服を脱がせよう」と大きな声で言った。その男性スタッフと服の縫い目をほどき、患者の傷の状況を調べて、処置を行った。
「患者にとっては数少ない服なんです」
国際救援活動に豊かな経験のある看護師が、「そんなに大きなことではないのですが、とても印象深くて……」と前置きをして語ってくれた場面です。処置が終わったあと、現地の男性看護師は、「ここでの生活はとても厳しく苦しい。患者にとっては数少ない服なんです。継ぎはぎがたくさんあり、丁寧に着ていたから、大切にしてあげたかった」と言ったそうです。この場面を語ってくれた看護師は、男性看護師の言葉に、はっとさせられたそうです。
確かに、患者が生命の危機にさらされ、一刻も早い処置が必要で、衣服をハサミで切らなければならない時もあるでしょう。でも、この場面は、必ずしもそれが必要ではありませんでした。ハサミで切っても間違いではありませんが、現地の人々の暮らし、信仰、文化などを十分配慮して治療やケアにあたる必要があるのは言うまでもありません。この場面から、「一人の女性患者の服をどのように扱うべきなのか」という行為ひとつにおいても、患者のけがの程度をふまえ、生活レベルにも配慮する「豊かな想像力」が必要とされることを学ぶことができます。
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同じサッカーでも、世界各地でレベルや特性が変わってきます。
パスは非言語の言葉でもあり、超一流になれば、どんな文化にも、チームにも適合していきますが、実際、最初からその領域の選手ばかりでもないです。
だからこそ、若いうちのほんのちょっとの才能や実績の差よりも、日常や学習の態度が重要になります。
これをスポーツの話と捉えずに、コミュニケーションの話で考えるとわかります。
目に見える才能にあふれた人間は、努力をしないでも、周囲が合わせます。
しかし、様々な違いや困難に触れて、多くの凡人は学びます。
想像力も最初からある人ばかりではないでしょうし、もしも、本文の患者さんが日本で災害に遭ったのであれば、チームとしてはどう動いたでしょうか?
逆に、その想像力の持つためらいが死や敗北を招く場合もあり、その場合の責任などはどうなるでしょうか?
言い換えれば、このシチュエーションが日本だったら、という想像力も一つの学習材料です。
Seeing is Believing と言いますが、海外の特殊な状況に最初から馴染める人など皆無でしょう。
では、どうすればいいのか、という問いが発生します。
日本の文化上仕方ありませんが、動線や目にするものが限られているのが良くないような気もします。
自分も国内外の学会ついでに眺めた、様々な都市の路地裏の空気や食べ物の値段や味から日常や人間の差異に思いを巡らしてきました。
そんなものは、あるいは一生知らなくては良い事なのかもしれませんが、あるいは、個人の価値観や人生を変えるのかもしれません。
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