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遺児の笑顔 輝く場所を…阪神大震災後に設立のケア施設でシンポ

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遺児の笑顔 輝く場所を…阪神大震災後に設立のケア施設でシンポ

レインボーハウスでの経験を話す福井さん(左)と中埜さん(1日、神戸市東灘区で)

 阪神大震災から来年1月17日で25年となるのを前に、遺児のケア施設「あしなが育英会神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)で1日、遺児支援のあり方を考えるシンポジウムが開かれ、約80人が参加した。社会人となった震災遺児2人がハウスで過ごした経験を振り返り、心のケアを継続する大切さを訴えた。

 レインボーハウスは1999年、日本で初めて、震災遺児の心のケアを目的に開設され、約200人が通った。2003年からは交通事故や病気、自殺で亡くなった人の遺児も対象にしている。現在は東京や、東日本大震災で被災した3市にも設けられている。

 シンポでは、兵庫県西宮市の自宅が崩れ、4歳で母親(当時31歳)を亡くした会社員福井友利さん(29)と、神戸市内で母親(同25歳)を失った会社員 中埜なかの 翔太さん(28)が経験を語った。

 福井さんは、参観日に母親の姿がなくつらかったこと、母親の手作りの弁当を持ってくる同級生がうらやましかったことなどを明かし、「同じ境遇の仲間が集まるハウスでは、気を使うことなく話したり遊んだりできた」と振り返った。

 現在はボランティアとしてハウスの活動に参加。東日本大震災後、東北のハウスで、遺児から「学校では作り笑いだけど、ここでは本当の笑顔で過ごせる」と言われ、ハウスの重要性に改めて気づいたという。福井さんは「子ども一人ひとりの感じ方は違うからこそ、時間をかけて寄り添うことが大切」と訴えた。

 中埜さんも、毎日のように通ったハウスを「気を使う必要がなく、心の底から安心できる第二の家。周りの人の優しさに支えてもらってばかりだった」と話した。中埜さんも東日本の遺児を支援する活動に加わっており、「これからも東北の子どもたちに関わり続けたい」と決意を語った。

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