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東京五輪サッカー決勝は100円だった~~町田忍さんの昭和回想インタビュー(上)

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昭和を笑顔で振り返る町田さん

昭和を笑顔で振り返る町田さん

 銭湯をはじめとする庶民文化の研究で知られる町田忍さん(69)は、消耗品として捨てられる運命の商品パッケージを自宅にコレクションし、研究してきました。マクドナルド日本1号店のポテトの容器、マーブルチョコやきのこの山、たけのこの里のパッケージ、コーラの空き缶や正露丸の箱……。暮らしのなかで集めたもので、たくさんの思い出が詰まっています。昭和の記憶を町田さんに振り返ってもらいました。(クロスメディア部・小坂剛)

 ナマの外国人に感激

 東京都目黒区の自宅書斎の壁に掲げられた2枚のチケット。1枚は、昭和39年(1964年)の東京オリンピックのサッカー決勝戦のもの。もう1枚は同41年に来日したビートルズの武道館コンサートです。壁から額を外し、チケットを取り出して机に並べると、「なんでオリンピックでサッカーを見に行ったかわかりますか?」と町田さんが笑顔でたずねてきました。

 当時、サッカーは人気競技ではなかったから、客席がなかなか埋まらない。当時通っていた中学に観戦するようにチケットの割り当てがあり、半ば強制されて行ったのです。入場料は、わずか100円。一番前の列でしたが、グラウンドまで遠くてよく見えませんでした。それでも、ナマで外国人を見るのが初めてだったので、競技場の通路にいた外国人を見つけて、「サイン、サイン」と言って、手帳を渡して書いてもらいました。「テレビでしか見たことがなかった外国人が、目の前にいて動いている。それだけで感激でした。今思えば純粋でしたね」

 来年再び東京でオリンピックが開催されることについて、町田さんは「今は日本に外国人も大勢いて、日本人の海外旅行も当たり前になりました。『感激度』という点では、前回の東京オリンピックにかないません」と話します。

東京オリンピックの入場券と、会場で写した写真(中央にいる中学生の右側が町田さん)

東京オリンピックの入場券と、会場で写した写真(中央にいる中学生の右側が町田さん)

ビートルズ、聞こえなかった演奏

ビートルズ来日コンサートのチケット

ビートルズ来日コンサートのチケット

 その2年後、今度はビートルズのコンサートに抽選で当たりました。平日だったので学校は休んで会場の日本武道館へ見に行きました。機動隊の盾の間をチケットを見せて通り抜けて会場へ。上の方の客席で聴きました。多くのバンドが前座で出てきましたが、なかなかビートルズが出てこないので、前座のバンドが代わるたびブーイングが起きました。最後にビートルズが演奏を始めると、女の子の叫び声があまりに大きくて、よく聞こえませんでした。「観客の9割以上は女性で、失神している人もあちこちにいた。今のジャニーズのアイドルどころではない騒ぎでしたね」

 悔いが残るのは、昭和45年(70年)の大阪万博。大学時代に学生運動に熱中しており、「反万博」の立場だったから、「あんなのだめだ」と行きませんでした。「行っていたら、東京五輪とビートルズ、大阪万博と『昭和の戦後3大イベント』を制覇できたのに……」と残念そうでした。

昭和30年代は便利さの原点

 町田さんは、昭和30年代までの新聞広告が時代の変化を映し出していて、特に好きだといいます。テレビCMがあまりなかった時代、企業は新製品を出すたびに広告を新聞に掲載します。象徴的なのは、冷蔵庫、洗濯機(掃除機の説もあり)とともに「三種の神器」に数えられたテレビ。「近づく3月場所を身近に楽しめる……」と力士の写真をつけたり、離れた場所から操作する「テレ・コントロール」を「長さ5メートルの魔法の手」と表現したりして、購買意欲をかきたてました。

 テレビ放送がスタートした同28年(53年)、サラリーマンの初任給が1万5000円程度だった時代に、1台約30万円するテレビもありました。それが劇的に下がり、皇太子と美智子さまのご結婚が決まった同33年(58年)当時は7万円前後となり、急速に普及していきます。

 「テレビのないところにテレビが登場し、電話がないところに電話が登場した。すべてが初めての体験。その感激は言いようがないほど大きかった。その後は、すでにある製品の改良が続きます。いまある便利さは、すべて昭和30年代に始まり、その延長に過ぎないのです」

デパ地下は昭和30年代の商店街

昔の品々を前に思い出を次々と語る町田さん

昔の品々を前に思い出を次々と語る町田さん

 高度経済成長によって日本は豊かになり、大量生産・大量消費の時代を迎えます。効率重視で古いものは次々と姿を消します。町田さんが自宅に残しているのは、お菓子のパッケージなど、大量消費時代に捨てられ、消えていく運命にあったものばかり。

 「日本人は効率ばかりを求めてきましたが、いま振り返ってみると、自分たちが失ってきたもののなかに、本当は生活に必要なものがあったんじゃないかと思うんです」と町田さん。

 例えばデパート。子供の頃、年に2回のボーナス時期には、家族で着飾って渋谷のデパートに出かけました。なぜか、行きは電車、帰りはタクシー。屋上で遊んで、大きい食堂でお子様ランチを食べ、最後におもちゃ売り場へ。心ときめく出来事でした。

 デパートの様子も、今では様変わり。屋上は閑散としているし、売り場も家電量販店があり、テナントビルのようで、個性がなくなってきました。唯一にぎわっているのが地下の食料品売り場だと感じるそうです。「何でかな、と思ったら、デパ地下って昭和30年代の商店街なんですよ。道が迷路みたいで対面販売だし、試食もできる。やっぱり人間は、ぬくもりがあるところに行きたがるのかな」

 新しいガラス張りの高層ビルができても、ぬくもりが感じられず、1回行くと、もう十分かなと思ってしまうといいます。「新宿ゴールデン街や線路のガード下がにぎわっているのを見てもわかるように、人は奇麗なところばかりじゃダメ。近代化すればするほど、逆にぬくもりや猥雑わいざつさを欲するようになってくるんです」

 ※「正露丸は昔、征露丸だったんです~~町田忍さんの昭和回想インタビュー(下)」はこちら

町田 忍(まちだ・しのぶ)1950年、東京都出身。庶民文化研究家、エッセイスト。銭湯や缶ジュースなど100を超える研究テーマを持つ。著書に「マッカーサーと征露丸」(芸文社)、「戦後新聞広告図鑑」(東海教育研究所)、「銭湯 『浮世の垢』も落とす庶民の社交場」(ミネルヴァ書房)など。

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