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うんこで救える命がある

コラム

医療での身体抑制は「尊厳」と「安全」のトレードオフ~医師にできることは、まだあるかい?~

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「身体抑制」ってなんで必要なの?

 僕は大学時代ラグビー部に所属していたので、ラグビーワールドカップでの日本代表の活躍が、とてもうれしい今日この頃です。

僕自身はとても 華奢(きゃしゃ) な体をしていたため、 怪我(けが) が絶えませんでした。ラグビーでの 怪我(けが) を理由に、何度か手術入院をしたこともあります。術後は患部を安静にする必要があるため、三角巾やギプス等で動かないように固定します。固定することで、とても不自由にはなるのですが、固定が治療の手助けになる――つまり、「動かない不利益」よりも「改善する利益」が勝るということを理解できるし、短期間で終了する見通しが立つから固定を受け入れられます。

 同様に、「動かない不利益」と「改善する利益」に対して、テレビや新聞などで定期的に議論が巻き起こる問題が、医療においての「身体抑制」の問題です。主にこの話は、高齢者治療における身体抑制が中心になります。

 高齢者が骨折などで手術をした場合、認知症がある場合はもちろん、認知症がなくても術後に「せん妄」と呼ばれる、自分は意図せずに錯乱や幻覚・妄想状態を起こしてしまう状態が起こりやすいのです。せん妄が起きると、治療に必要な人工呼吸器や術後のドレーンと呼ばれる大切な管を意図せずに抜いてしまったり、ベッドから転げ落ちてしまったりすることがあります。このため、高齢者のいるベッドに柵を付けたり、手足に「抑制帯」と呼ばれるベルトを着けたりすることで生命の安全を確保します。もちろん、われわれ医療者側は可能な限り尊厳を尊重して、安易な抑制はしません。本当に必要かどうかの評価は確実に行い、可能な限り、短期間で抑制を終わらせる努力をしています。

転ばない看護や介護なんて存在しない

 「身体抑制を減らしましょう」といった発言があった場合、その発言のベースとなっているのは、どんな場面でしょうか。おそらく術後などでの絶対に抜いてはいけない管があるような局面ではなく、慢性期になっても継続的に抑制されている場合や、介護施設のような生活の場における場合が多い印象です。なので、まず身体抑制の議論をする場合には、それが急性期医療での話なのか、慢性期医療・生活の場での話なのか、しっかり議論を切り分ける必要があると考えます。

 なぜ慢性期医療や介護施設で継続的に抑制が必要かというと、手術など体に大きな負担がかかる治療がない日常生活でも、やはり認知症を持っている高齢者はせん妄を起こしたり、 徘徊(はいかい) したり、暴れて介護者に 怪我(けが) を負わせてしまったりすることがあるからです。

 中でも、「転倒の危険があるから」という意見がとても多いです。転倒して骨折すると、そのまま長期入院になり寝たきりになってしまうことが多いため、可能な限り転倒を防ぎたいというのが介護者側の気持ちです。しかし、加齢に伴い足の筋力が落ちた状態の高齢者は、転倒の危険性が非常に高い状態にあります。このため、足腰の弱った高齢者ほど安全のために抑制した方がいいという考えに至るのです。

 ただ、行動を抑制することで歩く機会が減るため、さらに筋力が低下して転倒のリスクが高まっていきます。弱った体では一生抑制し続けない限りは、転倒の危険性がついて回ります。つまり徘徊などによる転倒が危険だからと一時的に身体抑制しても、結局いつか歩いた時に転んでしまうと思うのです。実際に海外の研究ですが、身体抑制してもしなくても施設内での転倒の発生率は変わらなかったというデータがあります。一時的に転倒を防止に役立ちそうですが、長い期間で見れば結局いつかは転んでしまうので、転倒防止にはなり得ないというわけです。

医師にできることは、まだあるかい?

 僕ら医療者は加齢を止めることはできないため、転倒を防ぐこともできません。認知症になることを防ぐこともできないし、認知症になった以上は徘徊も止められません。そうなると、慢性期や介護の現場での身体抑制は、尊厳を損ねてまで行う必要が本当にあるのかという疑問がわいてきます。僕は慢性期の医療の現場では、短期間で改善が見込める治療以外での抑制は可能な限り減らすべきだと考えていますし、僕の知る範囲でも実際に努力している施設が多いのです。

 それでも、加齢に伴うやむにやまれぬ転倒でも、介護施設で転倒し、骨折した場合には介護施設側に重大な責任があるとの判断が出た事例があります。また、「介護者側の不注意だ」として、高齢者の家族から猛烈に怒られて謝罪を要求されることもあります。このような状態では、医療・介護者側も治療上では不必要だとは思いながらも、転倒などの危険性を (かんが) みて身体抑制しなくてはいけないという状況が生まれてしまいます。治療のためではなく、危険防止のために今日も抑制が行われているのです。当事者である患者さん本人の尊厳は、安全性との「トレードオフ」……つまり「何かを達成するために、別の何かを犠牲にしなければならない関係」で、本人の尊厳より安全性が優先されているのが現実だと思います。

 加齢という自然現象の前に、医療者は無力です。一方で、不必要な強い睡眠薬や立ちくらみを起こす降圧剤などを減らすことで、転倒のリスクを減らすことができたという研究結果があります。つまり、加齢に対抗できない僕ら医療者ができる最後の仕事は、「薬を減らし、なるべく自然な状態で生活を送れるように工夫していくこと」なのかもしれません。

超高齢化を迎えるにあたり転ぶことが許容される社会を

 年を取って生活していれば、転倒することもあるでしょうし、餅を喉に詰まらせることもあるでしょう。家にいようが施設にいようが病院にいようが、問題は起きる時は起きます。しかし、絶対に転倒しないようにしようとすれば、歩かせないようにするしか方法がなくなってしまいます。加齢に伴い、転倒する事実を社会が受け入れられないまま高齢化社会が進んだ結果、尊厳を失いながら抑制を続けることが是とされてきたような気がします。

 これから、さらに未曽有の高齢化社会を迎えます。社会全体として加齢に伴う当たり前の変化を受け入れ、「人間は死に向かう中で、避けようがない危険性に直面する」ということを理解しない限りは、これからも身体抑制したことによる悲劇、しなかったことによる悲劇のどちらも増えていくでしょう。そのような社会は、誰も幸せになりません。老化に伴う当たり前の変化に対して、早く社会側の認知を進める必要があるのではないでしょうか。

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ishiyousuke_prof

石井洋介(いしい・ようすけ)

 医師、日本うんこ学会会長

 2010年、高知大学卒業。横浜市立市民病院炎症性腸疾患科、厚生労働省医系技官などを歴任。大腸がんなどの知識の普及を目的としたスマホゲーム「うんコレ」を開発。13年には「日本うんこ学会」を設立し、会長に就任。現在は、在宅医療を展開する山手台クリニック院長、秋葉原内科saveクリニック共同代表、ハイズ株式会社SHIP運営代表、一般社団法人高知医療再生機構特任医師。著書に「19歳で人工肛門、偏差値30の僕が医師になって考えたこと」(PHP研究所)など。

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