【1】ギャンブルの沼 2 「ギャンブル依存」は病気だったの!?
シリーズ「依存症ニッポン」
「ギャンブル依存」は病気だったの!?(上)競艇の刺激に耽溺した「彼」と「彼女」の苦悩
特異な幼児期。いつもギャンブルがあった
彼女が3歳のとき、両親が離婚した。父親が会社のカネを横領したことが理由だったが、違法行為にまで走らせた原因は競輪だった。
母方の実家に生活を移したものの、そちらにはパチンコ好きの祖父がいた。都内で雑貨屋を営みながら、365日、朝から晩までパチンコ台に向き合っているような人だった。しかも、彼女の母親が仕事を手伝うようになってからは、まったく働かなくなった。
そんな祖父に連れられ、彼女自身も幼稚園の頃からパチンコ店に出入りするようになった。いけないことだとは理解していなかった。小学2年生のときには、手持ちのお年玉が減ってきたので、それを増やそうと一人でパチンコ店に入り、女性警察官に保護されたこともある。
遊んでばかりいる祖父のことで、家の中は常にぎくしゃくした空気が流れていた。祖父のことは嫌いではなかったが、あんな大人になってはいけないと思った。
「私自身、ずっとギャンブルが悪いこととは思っていませんでした。むしろ、大人の楽しみの一つと考えていて、勝負が出来ない人を『つまんない人間!』と見下すほどでした。だからこそ、逆にギャンブルで身を持ち崩す人間のことはバカだと思っていたんです」
勝負にかける人は魅力的。
働かずに遊んでばかりいる人間は軽蔑。
いくら楽しくても、それにのみ込まれてしまうのはバカ。
いずれも間違ってはいない。ギャンブルには走らなくても、退屈さを嫌い、毎日の生活に刺激を探している人はいる。日々の仕事でも、ギャンブルさながら、ギリギリの勝負に明け暮れている人だって少なくない。
たとえ平穏な毎日を送っている人でも、仕事、スポーツ、恋愛などで、のるかそるかの勝負を迫られる場面は訪れる。そんな瞬間は、人をキラキラと輝かせたりもする。
彼女の前に現れ、付き合うようになった彼は、ギャンブル好きではあるものの、実直で魅力的な尊敬できる人だった。そうは言っても……。あまりに深くのめり込み過ぎ、それで自分自身、それに周囲を傷つけたりすれば話は別だ。
「ギャンブルをやめよう」と結婚したものの……
時間がたつにつれ、彼との付き合いは、ギャンブルと借金がすべてになりつつあった。関心事は、「どこから競艇の資金を捻出するか」「まだ貸してくれる消費者金融はないか」「持ち物を売り払うか」。
2人で過ごしていても、イライラばかり。けんかも絶えなくなった。
競艇場にいるときの心境も以前とは違っていた。スカッとする爽快感、それに居心地の良さは徐々に薄れ、やがて完全に消えうせていた。もうギャンブルが楽しくなくなっていた。何度も2人で話し合い、「やめよう」と決意を固めた。
それでも……。どうしてなのか、競艇が開催になると、舟券を買わずにはいられない。ここがギャンブルの沼に足を取られた恐ろしさだ。
「家庭を築けば、きっと意識が変わり、生活スタイルも変わるはず」
そう話し合い、どうにもならない現状を変えようと、2人は結婚した。同時に、競艇へと走り出しそうになる衝動を、無理やり心の底に封印した。
翌年、子どもが生まれた。子育てと共働きは目が回るほどの忙しさだった。競艇のことを考える暇はなくなっていた。それでも幸福だった。
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