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毒蝮流回想のススメ…毒蝮三太夫さん

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毒蝮流回想のススメ(下)~令和は「さいがい」なく「さいわい」多き時代に

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 毒蝮三太夫さん(83)は、戦後間もない中学生のときに舞台で俳優デビュー。青春映画や「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」、日本テレビ系列の人気番組「笑点」に出演した後、ラジオ番組のパーソナリティーとして半世紀にわたって活躍してきた。「思い出すのは昭和の出来事ばかり。オレの体は昭和でできている」という毒蝮さんに、自らの歩みを回想してもらった。

昔のニュース写真に囲まれた毒蝮さん(小林武仁撮影)

昔のニュース写真に囲まれた毒蝮さん(小林武仁撮影)

■昭和20年代~~芸能界に入るきっかけをくれたマッカーサー

 今思えば、俳優になるきっかけをくれたのはマッカーサー元帥だった。GHQ(連合国軍総司令部)の指示で戦災孤児のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」がつくられた。当時はあちこちの路上に戦争で親を失った浮浪児がいて、彼らが不良にならないようにしないといけないとマッカーサーが動いたわけだ。

 ラジオドラマがヒットし、舞台版をつくることになり、孤児役の募集に応募した友達に付き添いで行った。声が大きくてモノを読むのが得意だったので、「お前も受けろ」と言われて受けた。結局、オレは受かって、友だちは落ちた。俳優になりたくてなったわけじゃないんだよ。日本が戦争に負けていなかったら、マッカーサーがいなかったら、自分は芸能界に入っていない。これも変な巡り合わせだな。

 地方巡業でひもじい少年の役を演じたら、客席からおばあさんが来て「かわいそうに」とおむすびをくれた。舞台袖に持ちかえるとほかの人に食べられちゃうから、舞台の上で食べた(笑)。食べ物がなくて大変な時代だったから、巡業中に三食きちんと食べられるのがうれしかった。当時、巡業先から家に送った手紙は今も大事にとってあるよ。

■昭和30年代~~ 同い年の長嶋さんが天覧試合ホームラン

 自分もテレビ出演するようになったが、しばらくは家にテレビはなかった。隣の家に行って見せてもらっていた。街頭テレビの前は黒山の人だかり。新橋や五反田でも見たけど、プロレスやボクシングの中継なんて遠すぎて、人の頭しかみえない。前の人に「どうなりました?」なんて聞いているのがいたね(笑)。

 テレビでもらったのはチンピラ役ばかりで、週に1度は警察に捕まっていた(笑)。「せりふがもらえた」とお袋に言うと、お袋はテレビのある隣の家に近所の人を集めた。お茶菓子を出してみんなで見てくれたが、結局、せりふがなくなり、お袋に「恥をかいた」と怒られた。自宅にようやくテレビが来たのは当時の皇太子さまと美智子さまのご成婚の頃だったな。

 (巨人の)長嶋(茂雄)さんの天覧試合はテレビで見てたっけな。巨人ファンだったし、長嶋さんは同い年だったから、特にうれしかったな。当時は、テレビの置いてある喫茶店で「今晩、日本シリーズ テレビ中継あり」と書いてある。普段はコーヒー100円のところを当日は150円とか、少し高いんだ。それで客は試合が中継されている3時間くらい居座り、テレビにかじりついた。巨人ファンでない人もいるから、「ワー、打った!」って叫ぶと、後ろから西鉄ファンのオヤジに「うるせえー!」なんて怒られたな。

 その後、オレのマネジャーだった女性が巨人の新浦寿夫投手と結婚することになり、結婚式で監督だった長嶋さんと同じ主賓テーブルに座ったことがあった。スピーチで「オレは新浦投手にいろんなサポートはできるけど、一つだけプレゼントできないものがある。それは勝ち星です。この勝ち星はいくら大金を出してもプレゼントできないので、自分でつかんでほしい」と言ったら、長嶋さんはエラク喜んでくれたな。

毒蝮流回想のススメ(下)~「いろいろあって令和がある。正直者が馬鹿を見ない時代」

■昭和40年代~~立川談志のおかげで飯食えてる

 「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」には隊員役で出演したが、「どっちが怪獣かわからねえ」なんて言われたこともあったな(笑)。ハンサムじゃないし、いい役やろうと思ってもチンピラ役ばっかり。親しかった落語家の立川談志が司会の「笑点」に出ていたときに、談志の発案で芸名を本名の石井伊吉から毒蝮に変えた。怪獣ブームなんて終わっちまう、お前はしゃべりで勝負しろって言われたんだ。その後、昭和44年に始めたTBSラジオ「ミュージックプレゼント」のパーソナリティーは半世紀たった今も続いている。一番影響を受けたのは立川談志、彼のおかげでいま飯が食えている。

 人間は一人で生まれ、いろんな人に会って、一人で死んでいくよね。いろんな人に会うことが人生の大きなドラマだね。仲人をしてもらった俳優の小林桂樹さん夫妻とも長く家族ぐるみの付き合いをさせてもらった。

■昭和50年代から平成~~バブルはじけて夢がしぼんだ

 昭和の高度経済成長を経て日本も豊かになった。(株価や不動産価格がはね上がった)バブル景気の頃は、ご祝儀をくれたりする不動産屋さんもいたな。訪ねた帰りに、ベンツ1台あげるから持ってって、なんて言ってね。背広のポケットに100万円ぐらい持っていて、女の子にチップをあげていた。六本木でタクシーつかまえるのに1万円札をひらひらさせたり、そうかと思うと、向こうのヤツは2万円出していたりとか(笑)。

 でも、こんな異常な時代が続くわけない、って思っていた。その後、バブルがはじけて約30年たつけど、夢がしぼんできたね。若いうちに家1軒建てたい、とか、早く結婚して子供つくりたい、とか、若者はあんまり言わなくなったよね。

 平成の時代は災害が多かったけど、いいことは少なかった。「さいがい」と「さいわい」は1字違い。令和の時代は幸いが多い時代になってほしい。いろいろな歴史があって、今の令和がある。生きていて幸せだなと感じられる時代、正直者が馬鹿を見ない時代、そして中小企業とかで頑張っている人たちが幸せで、頑張れば家1軒持てるぐらいの給料はもらえる時代であってほしいな。

(聞き手:クロスメディア部 小坂剛)


 ※「よみうり回想サロン」など回想に関する情報は、健康サイト「ヨミドクタープラス」で。

 

毒蝮 三太夫:(どくまむし・さんだゆう) 本名・石井伊吉。1936年(昭和11年)、東京出身。48年、舞台「鐘の鳴る丘」でデビュー。日大芸術学部卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」など数多くの映画、テレビに出演。聖徳大学客員教授。近著に「ババァ川柳 人生いろいろ編」「シルバー川柳日めくり」(いずれも河出書房新社)。

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