僕、認知症です~丹野智文45歳のノート
医療・健康・介護のコラム
人の顔や名前を忘れてしまう…これって失礼でしょうか?
「こっちが長女かな?」 家族の顔さえも
アルツハイマー型認知症は症状の個人差が大きく、私の場合、人の顔や名前が分からなくなりやすいです。毎日会っている職場の同僚のことも忘れてしまうし、妻と娘の顔も、本人たちがいない時に思い出そうとしても頭の中に浮かんできません。特に娘たちはしょっちゅうメイクが変わるので、目の前にいても「ええと……こっちが長女かな?」という感じです。
娘たちも慣れたもので、私がじっと顔を見ていると、自分の名前を言ってくれるようになりました。
そんな調子なので、何度か会っている人でも思い出せないことがよくあります。申し訳ないと思いますが、決してその人を軽んじているわけではないのです。
「忘れちゃった」 正直に言ったら楽になった
相手は自分のことを知っているが、自分には相手が誰だか分からないという、皆さんならめったにない状況に、私は毎日のように遭遇しているというわけです。以前は私も取りつくろっていたのですが、それが認知症の症状だと分かってからは、「ごめんね。忘れちゃった」と正直に言うようにしました。ムッとする人もいるかも……と覚悟していたのですが、そんなことは一度もなく、みんな改めて自己紹介をしてくれるので、そこから会話が始まります。
もしかしたら、人の顔や名前を忘れることに対して一番厳しいのは、忘れられた当人ではなく、認知症の人の家族かもしれません。身内の失礼は自分の失礼と感じるのか、「どこそこの誰々さんでしょ? どうして覚えてないの?」と、責めるような口調になってしまうことがあるのです。
そう言われて、本人も何とか思い出そうとするのですが、記憶が戻ることはありません。私自身は、忘れてしまったことを思い出そうとするとものすごく頭が疲れるので、見ていて心配になります。
先方への気遣いから、つい言葉がきつくなるのでしょうが、礼を失した振る舞いではないと相手は分かってくれています。だから、家族も症状をありのままに受け入れてくれると、お互いに気持ちが楽になると思います。
みんなが覚えていてくれる
とはいえ「病気だから仕方ない」と、ただ諦めたら、せっかくのご縁もすべて切れてしまうので、出会った人には「どこかで見かけたら、ぜひ声をかけてくださいね。私の方は忘れているかもしれないので」とお願いしています。
「丹野くん」と呼び止めて、「この間の講演会で会った」「フェイスブックで友達になった」「ヨミドクターのコラム、いつも読んでるよ」、なんて付け加えてくれれば、さらにありがたいです。
私が忘れてしまっても、みんなが覚えていてくれる。そう思うと、「これからも大丈夫」という気持ちになります。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)
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