元新体操選手 山田海蜂さん
一病息災
[元新体操日本代表 山田海蜂さん]腰椎分離症(1)身体能力頼みのツケ
「半年間の完全休養か、練習量を半分に減らさないと、選手継続は無理」
1996年のアトランタ五輪後、高校時代に痛めた腰椎分離症が再発した。医師に告げられ、翌年、新体操選手からの引退を決めた。9年間の現役生活だった。
新体操を始めたのは中学2年と遅かった。多くの選手は、幼少期からリボンやボールなどの手具と戯れながら技術を積み上げていく。だが、抜群の運動神経と他を圧する練習量で、1年たらずで四大陸ジュニア選手権に出場。92年のバルセロナ五輪、96年のアトランタ五輪と2大会連続出場を果たした。94年には四大陸選手権で優勝するなど第一線を走り続けた。
だが、「基礎がなかった」という。当時は練習前後の身体ケアもほとんどしなかった。高い柔軟性と関節の可動域の広さで乗り切ってきた。だが、そのつけもあってか、高校2年で腰椎分離症になった。若いスポーツ選手に多く見られる疲労骨折で、歩けないほどの痛みがある。マッサージやはり治療を受けながら競技を続けた。
進学すると、今度は心理的な重圧が一気に増した。大学で新体操の五輪候補選手は自分一人。期待が集中した。社会人として出場したアトランタ五輪では、練習環境が変わって4か月という短い時間で本番を迎えた。ミスもあり、個人総合20位に終わった。
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元新体操日本代表 山田 海蜂 さん(46)
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