リングドクター・富家孝の「死を想え」
医療・健康・介護のコラム
がんで死ぬのは幸せか?
余命は当てにならない面も
したがって、進行してしまった、あるがんの生存期間中央値が1年だとしても、3年、5年と生きる人が一定数いるわけです。また、それよりも早く亡くなる患者も一定数います。つまり、「余命1年」といっても、その通りになるほうが少ないのです。ですから、余命告知をしない理由に「あてにならないから」と言う医者もいるわけです。
また、がんの治療は複雑で、万人に共通ではありません。しかも、同じがんに対して同じ治療をしたとしても、生存できる期間には大きな差があります。なぜ、そうなるのかといえば、患者さんの年齢、体力、持病、体質などがそもそも違うからです。
「あと2週間ぐらい」の診断は正確
ただし、末期がんの治療中の患者さんで、主治医から「あと2週間ぐらいでしょう」と言われた場合は、おそらくその通りになります。これは、データではなく、病状から判断しているからです。もはや食べ物を受け付けない、ときどき呼吸困難に陥っている、意識がもうろうとしてきたとなれば、よほど未熟な医者でなければ、患者がどれくらい持ちこたえられるかわかります。
前立腺がんと言われた
実は、私も今年の6月にがん宣告を受けました。初期の前立腺がんで、ステージは4段階の「2」でした。初期でも、手術を勧められることがありますが、私は今のところ放置しています。前立腺がんは進行が最も遅いがんで、一生、悪さをしないで終わる可能性があるからです。がんを抱えたまま、なんの滞りもなく天寿を全うするケースも多いので、初期では余命宣告という話にはなりません。
しかし、前立腺がんも他臓器に転移するなど進行した状態で見つかれば、話は違います。また、遺伝子の変異については未解明の点も多く、ある時、悪性度の高いがんに変わらないとも限らないと言う専門医もいます。
がん患者として気になること
私もがん患者ですし、がんで命を失う可能性はあります。がん患者として気になるのは、今後、病状がどうなっていくのか? 悪くしないためにどうすればいいかということです。これを、医者との密なコミュニケーションを通して確認しておく必要があると思います。
治療には、必ず、分岐点があります。一気に病状が悪化したり、転移や再発したりした時、どのような選択肢があるのかについても、理解しておきたいですね。
人生は1回きりです。その1回きりをがんで締めくくるとしても、最期の時を満足して迎えるための努力は必要です。(富家孝 医師)
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以前の投稿内用ともかぶりますが、癌患者は癌だけで構成されるわけではなく、癌という病変を持った患者、病変を持った一般人という考え方が大事です。 し...
以前の投稿内用ともかぶりますが、癌患者は癌だけで構成されるわけではなく、癌という病変を持った患者、病変を持った一般人という考え方が大事です。
しかし、癌という言葉の重み、イメージの重みがその人や家族の思考から客観性を奪います。
逆に、癌の患者やフィルムを見慣れて落ち着いている人の方が、確率論で言えば異常者です。
ピンピンコロリが理想とは言いますが、おそらく、太平洋戦争で亡くなった兵士の大半は本音では死にたくないと思っていたはずですし、ましてや、餓死や戦闘不能による自殺強要なんか望まなかったと思います。
言い換えれば、平和とか飽食とか、前提条件によって人の意識は変わるということで、がんの発見や告知のその中の要素に過ぎないということです。
データはデータに過ぎず、あくまで確率論の上、不完全なものに過ぎません。
その不完全性との向き合い方はプロでも厄介ですが、患者や家族といった一般人の多くにはもっとしんどいでしょう。
だからこそ、癌で死ぬことが幸福か不幸かの判断が一概に言えないになるのではないかと思います。
いま国際情勢も揺れていますが、戦いなんかしない方が良いですし、どうせ戦うなら勝たなければ意味がない、というのは一つの真理だと思います。
これをすれば、幸福とか、人生に勝てるというのはないでしょうが、何かしら、幸福のフラグメントの見つけ方とかそういうのは大事なのかもしれませんね。
多分、多くの人にとっての分岐点は、癌そのものにはありません。
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