訪問診療にできること~最期まで人生を楽しく生き切る~ 佐々木淳
医療・健康・介護のコラム
100歳超えた男性が、病院で命がけのハンガーストライキ
100歳を超える男性が入院したきっかけは腸閉塞。若いころにおなかの手術をしていたのですが、そのためと思われる消化管の癒着により、腸がうまく動かなくなってしまったのです。 嘔吐 を繰り返すようになり、食事ができない状態になってしまったため、入院することになったのでした。
腸閉塞の治療そのものは順調に進みました。しかし、経過中に肺炎を発症。酸素吸入を開始し、点滴による抗菌薬の投与が開始されましたが、炎症反応はなかなか改善しません。食事も水分も口からは取れない状態が続き、全身状態は日に日に悪化していきました。
入院中は食事が取れず、言葉も出なかった
これ以上、治療しても回復の見込みはない。残されている時間もそんなに長くはない。それならば、最期は奥さんの待つ住み慣れた場所で迎えさせてあげたい。ご家族の強い決意、そして病院の治療チームの決断により、搬送中の急変の可能性すら懸念される状況での退院となりました。
病院からの報告によると、入院中は全く食事や水分が取れず、完全な寝たきりとなっており、言葉も全く出なくなってしまっているといいます。これ以上、積極的な治療はせずに、穏やかに最期をみんなで見送ろう。そんな 看取 りを前提とした覚悟の帰宅でした。
退院当日。ご本人にお会いし、そしてご家族と最期の方針を確認するために、高齢者用のホームを訪問しました。彼は自分のベッドに横になっていました。ベッドサイドの椅子に腰かける奥さんと見つめ合い、心なしか 微笑 んでいるようにも見えました。
退院すると、口を開いた
僕は腰を落とし、顔をのぞき込み「おかえりなさい」と声をかけました。すると彼はこっちを見て「ありがとう」と絞り出すような声で、でも確かにしっかりと答えてくれました。俺は死ぬために帰ってきたわけじゃない。彼の目はそう言っているように思いました。
「お疲れですよね。具合はどうですか?」
「大丈夫です」
「きっと、おなかが空いていますよね」
「はい。食べたいです。」
「もう入院させたりしませんから。しっかり元気になりましょうね。」
彼は強くうなずいて、そして少し涙を流しました。病院からの退院時看護サマリーには、「認知力低下のために本人理解できず」と記載されていました。
彼は100歳を超える超高齢者ですが、認知症はありませんでした。具合が悪くて話せなかった彼に「話してもわからないだろう」という判断が病棟で共有され、おそらく本人には納得のいく病状説明がないまま、3週間の入院治療が行われたのでしょう。心が痛みました。
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日本臨床整形外科学会に行きました。 そして、がんロコモという言葉に出会いました。 確かに、がんやがん患者という言葉が作り出す現実やイメージの分水...
日本臨床整形外科学会に行きました。
そして、がんロコモという言葉に出会いました。
確かに、がんやがん患者という言葉が作り出す現実やイメージの分水嶺が、診断治療の進歩によって変わってきたので、いままで考えにくかった、あり得なかった組み合わせが発生しています。
癌の治療をしながら、筋トレとか心臓リハとか行って、未来の希望を持つことが、総合的な予後を改善しうるのであれば、否定されるべきではありません。
これが本文と重なりますが、本人の意思や希望との兼ね合いです。
みんな忙しくて、自分の知識や関心の幅の外に対して目を向ける余裕がなくなってしまいがちな現代ですが、そんなに難しく考える必要のないことまで難しく処理してしまうことの弊害が発生しています。
がん患者を診たくなくて、整形外科や循環器を志望する医師もいますので、そういう医師までもが強制的に狩り出されるのは良くないですが、ある程度判断して、詳しい人にバトンタッチしたり、自分の知識や誠意の範囲内で対応するのは悪くないと思います。
そのためにも、医療者の間の風通しを良くするのが大事だと思います。
今まで、切り捨てられてきた症状や人間をケアするのにはお金も人手、教育システムも必要です。
あるいは、医療費削減の対象かもしれませんね。
けれども、この何年もの間、日本政府の国内投下資本は企業と資産家の貯蓄に概ね移っています。
言い換えれば、お金やサービスの循環が足りていないのがもっと問題です。
僕も全てに関心を持っているわけでも、頑張れるわけでもないですが、本文のようなちょっとした気づきを積み重ねると、日本の医療は改善され、国内外の資本も投下されるようになるんじゃないかと思います。
ビジネスありきでも、それが人や社会を幸せにするのであれば、問題ないですから。
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