訪問診療にできること~最期まで人生を楽しく生き切る~ 佐々木淳
医療・健康・介護のコラム
100歳超えた男性が、病院で命がけのハンガーストライキ
入院中、言葉を発しないのは、医療者への無言の抗議か
物言わぬ患者を相手に、しっかりと治療に取り組んでくれた病院の方々には感謝の念を持ちます。しかし、言葉を発しないというのも一つの意思表示なのだ、ということは知っておいてほしかった。それは、話を聞こうとしない、話がわからないと一方的に決めつける専門職に対する無言の抗議なのです。
自分がこうありたい、という気持ちは誰の中にもきちんとあります。超高齢者になっても、認知症があっても、その気持ちがなくなることはありません。自分から話をしようとしない、話しかけても答えてくれない患者さんはたくさんいます。しかし、彼らは話ができないのではありません。言葉を探すのに少しだけ時間がかかるのです。言葉が通じる相手なのかどうかを見定めているのです。自分たちの思いが伝わらない相手には、誰も自分の本当の気持ちを伝えようとはしません。そのかわり、彼らは態度で示すのです。
私たち医療者は、患者にどのような質問をすればいいかを学んできています。しかし、一番大切なことは、どのように話しかけ、どのように話を聞き、それにどのように答えるか、患者さんに「話してもいい」と思ってもらえる存在になれるか、ということなのではないかと思います。
3週間の食事拒否の末、退院を勝ち取った
彼は自身の命をかけた3週間のハンガーストライキで、ついに退院を勝ち取りました。そして自分の思いが伝わるところで、最期までこうありたいという自分を貫き通すのでしょう。
ホームの看護師さんたちが、乾燥しきった彼の口を湿らせるために、たっぷり水分を含ませたスポンジブラシで 口腔 ケアを試みました。すると、スポンジブラシに吸い付き、一生懸命水分を吸い取ろうとしていました。むせる様子もありません。
この人はきっと回復する。僕はそう確信しました。もう治療はしない、という前提でしたが、水分が取れることを確認できたので、内服の抗菌薬を処方し、その日から飲み始めてもらうことにしました。その日の午後、ホームの看護師さんから、ゼリー食を問題なく摂取できたと報告を受けました。
彼はいま、以前と同じように普通に食事を取り、ご家族の持ち込むおやつを楽しみ、穏やかな日々を過ごしています。帰りたい場所があり、待っている人がいる。生活こそが生命力の源。だからこそ、在宅医療の存在意義があるのだ。僕はそう思うのです。(佐々木淳 訪問診療医)
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日本臨床整形外科学会に行きました。 そして、がんロコモという言葉に出会いました。 確かに、がんやがん患者という言葉が作り出す現実やイメージの分水...
日本臨床整形外科学会に行きました。
そして、がんロコモという言葉に出会いました。
確かに、がんやがん患者という言葉が作り出す現実やイメージの分水嶺が、診断治療の進歩によって変わってきたので、いままで考えにくかった、あり得なかった組み合わせが発生しています。
癌の治療をしながら、筋トレとか心臓リハとか行って、未来の希望を持つことが、総合的な予後を改善しうるのであれば、否定されるべきではありません。
これが本文と重なりますが、本人の意思や希望との兼ね合いです。
みんな忙しくて、自分の知識や関心の幅の外に対して目を向ける余裕がなくなってしまいがちな現代ですが、そんなに難しく考える必要のないことまで難しく処理してしまうことの弊害が発生しています。
がん患者を診たくなくて、整形外科や循環器を志望する医師もいますので、そういう医師までもが強制的に狩り出されるのは良くないですが、ある程度判断して、詳しい人にバトンタッチしたり、自分の知識や誠意の範囲内で対応するのは悪くないと思います。
そのためにも、医療者の間の風通しを良くするのが大事だと思います。
今まで、切り捨てられてきた症状や人間をケアするのにはお金も人手、教育システムも必要です。
あるいは、医療費削減の対象かもしれませんね。
けれども、この何年もの間、日本政府の国内投下資本は企業と資産家の貯蓄に概ね移っています。
言い換えれば、お金やサービスの循環が足りていないのがもっと問題です。
僕も全てに関心を持っているわけでも、頑張れるわけでもないですが、本文のようなちょっとした気づきを積み重ねると、日本の医療は改善され、国内外の資本も投下されるようになるんじゃないかと思います。
ビジネスありきでも、それが人や社会を幸せにするのであれば、問題ないですから。
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