ピック病(認知症)介護『父と私の事件簿』
医療・健康・介護のコラム
落ち着いてきた父 自分でブレザーを着て出かけ…「事件簿」もう増えないで!
火を使うこと以外は自分で
この数か月で面倒だったのは、通所の前に、父に下着から全部着替えてもらうことだった。尿失禁気味で、施設のスタッフから「尿臭がする」と注意を受けたからだが、父は毎日着替えることに納得がいかない。本人は尿失禁気味だという自覚がないので、特にズボンやジャージに関して、「汗もかいてないのに、どうして替えないといけないんだ」と毎朝毎朝大騒ぎになる。「施設から注意を受けた」と言うと、通所を嫌がるかもしれないので、「私が気になるから」などと適当な理由を言うしかない。それで毎日、どなり合いになり、疲れ果てていた。
ところが、これも習慣化したのか、ここ数日は、通所の前に自分で着替えを出すようになってきた。
今の父は、私の声かけに従い、自分で朝ごはんを用意している。干物を電気ロースターで焼き、ごはんに納豆や卵をかけて食べる。平日は10時半に通所のお迎えがきて、昼ごはんは、通所先で栄養バランスのいい食事を取る。スタッフの付き添いで、スーパーで夜ごはん用に好きなお弁当を買い、13時半に帰宅。夜は、私がいてもいなくても、お弁当を一人で食べるのが習慣だ。私が家にいる時に、たまに食事を作ろうかと思い、「今日はお弁当じゃなくてもいいよ」と言っても、「弁当がいい」。若干、「失礼な」と思うものの(笑)、本人がそのほうがいいならこっちも気楽である。
私が午後から出かけたり、帰宅が夜遅くなったりする時は、通所は午後からの夕食を食べられるコースを選んでいる。それができるのも、父がいつもと違う時間の通所を受け入れてくれるようになったからだ。また、夕方の安否確認を小規模多機能に頼むこともある。こうして、何とか私の留守もしのいでいる。
以前、洗濯物を家の中に干し、しまっていた習慣も、けがでの入院から自宅に帰った後に復活させたので、今も自分でやっている。復活させなかった習慣は火を使うこと。母の仏壇に線香をあげることと、お風呂を自分でたいて入る習慣は戻さなかった。私がいない時に何かあると嫌なので、お風呂は小規模多機能で週3回入ることにしたのだ。だから今は、お風呂も仏壇に線香をたく習慣も、父にとっては、なきものとなっている。母には申し訳ないが、火事になるよりはよかろう。
注意すべきは、毎日していることは忘れないが、しばらくやらないと忘れてしまうこと。毎朝、私がお茶をいれていたら、お茶っ葉の缶が入っている棚の存在を忘れてしまったことがある。そのため、今は、父にお茶缶の出し入れをしてもらっている。
自分の生活も立て直そう!
ピック病の症状が、緩和してきた理由はわからない。医師は「わからないけど、自分のできることは忘れさせないようにやらせていることと、今の通所をいれたルーチンがいいんじゃないかな」と言う。
私の感触では、通所も日々の営みも、時間通りに行動したがる「時計的行動」というピック病の特性に合わせてルーチンに落とし込んだのがよかったと思う。また、 医師に相談し、糖尿病ではあるが、こだわるアメは好き放題に食べていいことにしたり 、買い物に毎日同行してもらったりと、本人のストレスをどんどん減らしていったせいか、すぐかっとなることも最近は減ってきた。時々、「ばかやろう」などと無意味に言われ、むかつくことはあるけれど、まぁ、そのぐらいならいいや。何といっても、おでこが骨になった災難に比べれば、たいていのことはとるに足らない。
おでこのけがに関しては、形成外科の技術に驚嘆したものだ。患部に肉芽が生えた後、周囲の皮膚を伸ばした上で皮膚移植を行ったが、どういう神業か、実際には、骨になっていた部分の半分ほどの面積の移植ですんだ。今もその部分は黒ずんでいるものの、その回復ぶりはマジックだと思う。
今は落ち着いているものの、今後も父は、思いもしない事件を起こすかもしれないし、症状もじわじわ進むだろうから油断は禁物だ。でも、こっちの身が持たないので、とりあえず、あまり先のことは考えない。本当は先を見越して入居施設も探さないといけないんだろうけれど、自分の生活も立て直さないといけない。まずは、この夏が平穏無事に過ぎ、これ以上「事件簿」が増えないことを願いたいものだ。(田中亜紀子 ライター)
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