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石飛幸三の『人生の最期をどう迎えるか』

コラム

101歳の自然死 孫に囲まれて眠るように

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医療の意味が問われる時代

101歳の自然死 孫に囲まれて眠るように

 かつて、医療にとって死は「敗北」でした。私は急性期病院の外科医として働き始めた約50年前、「何! 手術を受けない? 命を粗末にするものじゃない」と言って、患者に医療を押し付けていました。

 当時の病院では「4の数字は不吉だ」と言って嫌い、部屋の番号に4は使われませんでした。まだ、多くの若者が病気で亡くなる時代でした。その頃の医者は「 (もう)()()() 」。「治さなければならない」という強い思いで、自分のことは捨てて、患者さんのために尽くしていました。だから尊敬されていました。

 しかし今は、人生の行き止まりまで来た人がたくさんいる時代です。無理に医療を押し付ければ、かえって本人を苦しめかねません。

 医療は誰のためでしょうか。人間の一生は「生老病死」、一回しかないその人の人生のためになってこそ、医療です。医者のためではありません。

最終章は自然の麻酔で夢の中へ

 医療は、人生の途上のピンチからの脱出策です。一方、老衰は治せません。死は生の帰結です。医療を過信し、すがっていると、人生の最期に裏切られてしまいます。人生の最終章では、「自然の摂理」を受け入れて、死を受容するほうが気持ちは安定するのです。

 人生の最終章では、食べたくなくなります。食べないと自然の麻酔がかかって、眠り始めます。そうして夢の中で、あの世に逝けるのです。平穏死です。神様はこのように、人間の一生の締めくくりをセットしてくださっているのです。これは神の (おん)(ちょう) です。それなのに、人間はなんと愚かな生き物でしょう。今でも地球上で戦争をして、殺し合いをしています。この戦争のない日本でも、殺人事件が起きています。

老衰は自然の摂理 誰もが最期は土に還る

 老衰は自然な流れです。いくら厄払いをしても、結局、我々はこの世から去っていく生き物なのに、どうしてこんなに悪あがきをするのでしょうか。死を恐れ、忌み嫌い、避けることばかりを考えて神頼みしても、結局は裏切られるのです。

 101歳のお (ばあ) さんの最期を ()() りました。90歳頃から認知症が進んできましたが、亡くなる3日前から食べなくなり、何の苦しみもなく眠るように逝かれました。最期はお孫さんに囲まれ、部屋いっぱいにひ孫さんたちの写真が飾られていました。死亡診断書の死因の欄には、「老衰」としか書きようがありませんでした。これこそ自然死、まさに自然の摂理です。

 生き物は土に (かえ) る、体は分解されて元素に還る、自然に還るのです。それがわかってしまえば、最期のことをむやみに (おそ) れず、生きている今に感謝して、有り難いと思って生きられるのではないでしょうか。

 超高齢社会をどう支えるか。医療は、まだ人生の先のある人が、一回しかない人生の途上で迎えた、疾患というピンチを乗り越える方策です。しかし、「もうそろそろかな」と思ったら、自然に任せた方が良いのではないでしょうか。(石飛幸三 特別養護老人ホーム常勤医)

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石飛幸三(いしとび・こうぞう)
 1935年、広島県生まれ。慶応大学医学部卒。ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院、東京都済生会中央病院で血管外科医として勤務。プロ野球投手の手術も多く手がけた。2005年12月より、世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。10年に「平穏死」を提唱し、反響を呼ぶ。著書に「『平穏死』のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか」(講談社)、「『平穏死』という選択」(幻冬舎ルネッサンス新書)、「『平穏死』を受け入れるレッスン」(誠文堂新光社)、「穏やかな死のために 終の住処 芦花ホーム物語」(さくら舎)など。

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1件 のコメント

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自然死は自然ではないという皮肉

寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受

医療の高度化と多様化は、医療者にも患者サイドにも変化を要求してきました。 医療ばかりではなく、ハイテク化の現代が人間の性質を変えている部分も見逃...

医療の高度化と多様化は、医療者にも患者サイドにも変化を要求してきました。
医療ばかりではなく、ハイテク化の現代が人間の性質を変えている部分も見逃せないでしょう。
AIとITの進化と普及に伴う社会の変化はそれほどに凄まじいものです。

ところで、本文のこれぞ自然死、というのは凄く贅沢な話です。
理由は簡単で、自然死を自然に迎えるには様々な幸運に恵まれないと不可能だからです。
物質的豊かさが心の貧困を招くのもよくある話で、円満な家庭ばかりでもなければ、致死的な事件や事故に無縁であることも大きな幸運です。
そして、難病や自殺、救急疾患の死亡率の上昇は、社会の高度な統制に伴う影響です。
一部のワクチンの副作用を無視したがる不心得者の自称医師をSNSで見かけますが、皆が息災でいるために、社会制度で一定の不幸が生み出されていることを無視してはいけません。
精神疾患も疑いを含めて、政治的側面から不利益を受けている人間がいることが知られています。
もちろん、誰にも優しい制度など、どこにも存在しませんが、そこに注意を払わなくなった時、多くの善良な市民が被害者になる社会が待っています。
戦前の特高警察ではありませんがね。

例に挙げられた戦争の意味は一つでくくれないものがあります。
そして、同種であれ、異種であれ、殺し合いと支配は世の真の姿でもあります。
自然に死ねるのは自然な事ではないという皮肉。
少し前まで、虫垂炎や脱水でもたくさん死んでいました。
我々もいつも善人ではいられませんが、いい塩梅は何なのか、きれいごとでも訴えていく必要があると思います。

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