訪問診療にできること~最期まで人生を楽しく生き切る~ 佐々木淳
医療・健康・介護のコラム
余命1か月と宣告された88歳、認知症の女性、薬剤の見直しで11年生きた
私がクリニックを開業して間もないころ、ある患者さんが近くの大きな総合病院から紹介されてきました。
88歳の女性、完全な寝たきりの状態でした。入院中から食事をとらなくなったため、左手から点滴が入っていました。認知症の終末期であり、「ご家族には余命は1か月程度と説明しています。自宅での 看取 りを希望しています」と病院からの紹介状には記載されていました。
声をかけるとうっすらと目を開くものの、すぐに閉じてしまいます。少量のゼリーを口に含ませると、かろうじて飲み込むことができますが、2口目になると口の中にため込んでしまいます。
「回復の見込みはないと言われているけれど、せっかく家に帰ってきたのだから、一日でも長く母と過ごしたい。だからできることはやってあげたいんです」
息子さんはそう言って、粉砕した薬をゼリーに混ぜて、一生懸命、お母さんに飲ませていました。
治療継続のための投薬が……
息子さんから入院前の様子を聞いてみました。
確かに軽度の認知症はあったようですが、家の中での生活はおおむね一人でちゃんとできていました。毎日、家の周りを散歩して、コンビニで買い物をして帰ってくるのが日課だったそうです。
ある日、熱を出してぐったりしているところを息子さんが発見し、病院に連れていきました。
診察と検査の結果、診断名は「 誤嚥 性肺炎」。その場で応急入院となり、点滴と酸素投与による治療が始まりました。
その日の深夜、息子さんは病院から呼び出されました。お母さんが家に帰るといって点滴や酸素のチューブを外してしまうというのです。病院からは「安全に治療を継続するための投薬」を提案され、自宅に帰るか、投薬するかの二者択一を迫られた息子さんは、投薬による治療継続を選択しました。
お母さんは治療に抵抗しなくなり、肺炎の治療はスムーズに進みました。しかし、徐々に動いたり、話したりしなくなり、そして食事もとれなくなってしまいました。肺炎はよくなっているはずなのに、どんどん元気がなくなっていきます。
そして、ある日、入院主治医から「認知症が進行してしまい、食事を認識できなくなってしまっている。回復の可能性は低い」と説明され、それなら家に連れて帰りたい、と、在宅医療が始まったのです。
「寝たきり」が投薬中止で散歩できるまでに
紹介状の文面から、息子さんが飲ませていた薬を確認すると、いずれも強力な抗精神病薬であることがわかりました。これらは治療するための薬ではなく、お母さんが治療に抵抗できないようにするための薬だったのです。
息子さんに薬について説明し、投薬をすぐに中止するよう指示しました。
それから2日、お母さんは目を開き「のどが渇いた!」とはっきりと言葉を発しました。口から水分が取れることがわかったので、点滴を外しました。食事の量もどんどん増えて、訪問リハビリテーションを開始すると、3か月後には家の中を伝い歩きができるようになり、車いすで外出もできるようにもなりました。
そして、それから3か月後。自分で車いすを押して、いつものコンビニまで散歩しているお母さんの姿がありました。
余命1か月と宣告されていた彼女は、その後11年生き、住み慣れた自宅でご家族に見守られて、穏やかに人生の幕を閉じました。亡くなる前日には、大好きだったウナギを家族みんなで食べたそうです。
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記事を読んでいてそうだそうだ、こんな医師が身近にいるといいなぁと思っていたら東京の佐々木先生でした。あ〜やはりそうだ!と納得。
誤嚥性肺炎、絶食、点滴、点滴の針を抜くから身体拘束、薬漬け、食事が食べられなくなる、どんどん状態が悪化する、やがて余命宣告。もういい加減医療職看護職介護職は気付こうよ!作られた余命宣告の残酷さに!!
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