食べること 生きること~歯医者と地域と食支援 五島朋幸
医療・健康・介護のコラム
最期まで支える、在宅医療はふれあい
先日、取材を受けていて「今までで一番印象に残っている患者さんは?」と聞かれ、瞬時に22年の訪問歯科の経験を振り返りました。そしてすぐにある方との出会いを思い出しました。
「気を付けて帰るんだよ」、末期の肝臓がん患者に見送られ
今から20年も前の話です。訪問診療を始めてはいたものの、まだまだ手探り。そして一つ、どうしても 馴染 み切れないものがありました。それは患者さんが亡くなるということです。歯科は医療の中でも死とは縁遠く、自分の身近な所ではまだ死を経験していないころに始めた訪問診療でした。そんなある日、訪問看護ステーションからある男性の訪問依頼がありました。入れ歯の調整希望でしたが、末期の肝臓がん。依頼書を見た瞬間「嫌だなぁ」と思ったことを覚えています。
ご自宅は大きな一軒家でちょっと時代を感じました。呼び鈴を鳴らすと娘さんが出てきて、部屋に通してくれました。かつてリビングであっただろう空間に電動ベッドが入れてあり、横田孝三郎さん(仮名、87歳)が横たわっていました。僕の存在に気付くと目をパッと開けて勢いよく上半身を起こして、
「横田でございます。この度はお世話になります」
頬は痩せこけていましたが、目はキラキラとしてハキハキとしゃべる姿に末期がんというイメージを 微塵 も感じませんでした。入れ歯の調整を始めると僕の手元を見ながら、
「先生、昔の歯医者とは全然違うんですねぇ。昔の歯医者は何もしゃべんなくてねぇ」
「そんな人ばかりじゃなかったと思いますよ」
「いやぁ、時代、変わったねぇ。こんな優しい歯医者さんが訪問してくれるなんて」
入れ歯の調整が終わっても戦争中の苦労話や笑い話が止まらず、結局2時間も居座ってしまいました。帰り際に笑顔で、「気を付けて帰るんだよ」と送られ、「ありがとうございます」と言って背を向けて苦笑いしながら帰宅しました。
親しみが増した2回目の訪問
2回目の訪問時は何年もお付き合いしていたかと錯覚するくらい親しくなっていました。入れ歯の様子を聞いていると、娘さんがお茶を持ってきてくださいました。
「お父さん、先生が来られるの、ずっと待っていたんですよ」
「えっ、入れ歯の調子、悪かったですか?」
「その逆。食事をするたびに『五島先生が直してくれたから飯が食える。ちゃんと報告しなければ』って言うのよ」
「それは良かった。まぁ、仕事ですから」
「お父さん、仕事柄、人を見る目がある人だから。先生、だいぶお気に入りですよ」
「横田さん、現役時代はどんなお仕事だったんですか?」
「税理士です。今も現役です!」
「失礼しました!」
と言って頭を下げると大爆笑! その日も滞在は1時間以上。ほとんどは昔の豪快なエピソード。笑い過ぎてお腹が痛くなるほど。
衰弱していたのに、一緒に記念写真
3回目の訪問は初診から約1か月後。入れ歯の調子も良かったので緊張感もなく、田舎のおじいさんの家に行くような気分で訪問しました。慣れたもので呼び鈴を押すと声をかけながら横田さんのいる部屋へ。そこで初めて現実に直面しました。横たわったまま目を閉じ、頬は 黄疸 で黄色く。つい何日か前までの表情はまったく存在していません。奥からそっと娘さんが出てこられ、
「2日前からこうなんですよ」
何もできなかったので、「今日は帰りますね」と小声で言って玄関に向かおうとした瞬間、か細い声で「先生、五島先生いるの?」と言葉が出ました。
「はい」と答えると、「先生、ベッド起こして」と言われ、電動ベッドの背を上げていきました。だいぶ顔が上がってきてベッドを止めた瞬間、その反動で顔が前に落ちたのでびっくりしました。それから数秒たって、ゆっくり口を開きました。
「先生、今回は残念です。こんな病気に負けてしまいました」。さらに数秒して「本当に残念なのは、先生とはもっと前に会いたかったです」。ベッドサイドで目頭が熱くなり、言葉を探していると、はっきりとした大きな声で、
「先生、一緒に写真撮ろう!」
僕は自分の 鞄 からコンパクトカメラを取り出し、娘さんに渡しました。横田さんの細く、小さく、冷たい手と握手しながら「はいチーズ」。
その翌日には……
その日のうちに現像所に出し(フィルムの時代です)、2L判に引き伸ばし、翌日の午後、適当な額に入れて横田さんのお宅に持参すると、お通夜の準備が始まっていました。
横田さんは黄疸が出ていましたが、精いっぱいの笑顔で、僕は涙をぼろぼろ流しながら握手をしているその写真を見返すたびに、在宅医療は人とのふれあいであると確信します。病院の医療とは全く異なります。最期まで生きる方たちを支援する仕事、世の中に誇れる仕事です。(五島朋幸 歯科医)
【関連記事】
※コメントは承認制で、リアルタイムでは掲載されません。
※個人情報は書き込まないでください。