夫と腎臓とわたし~夫婦間腎移植を選んだ二人の物語 もろずみ・はるか
医療・健康・介護のコラム
病気と仕事「私には“X-Day”がある」…先を急いではつまずいた日々 病床に届いた1本のメールは
幼いころから、スプリンター、漫画家、ミュージシャンなど数々の職業に憧れてきた私にとって、社会に出て働くことは大きな夢だった。「バリバリ働いて、バリバリ稼ぐぞ!」と思っていた。
けれど、中学1年生のとき、成人の8人に1人いるとされる慢性腎臓病、その中でも難病のIgA腎症を発症。「いつかは透析になる」と医師に言われ、子どもながらに“X-Day”のようなものを意識しながら大人になった。
健康じゃないと雇ってもらえないの?
就活を本格スタートさせたのは2001年。血清クレアチニンは0.9mg/dl以下で、なんとか正常値をキープしていたものの、腎臓に負担をかけないよう残業の少ない一般事務を希望した。
2001年といえば、いわゆる就職氷河期で、20~40社とエントリーしても、どれも当たり前のように書類審査で落とされた時代だ。母がプレゼントしてくれたリクルートスーツを着る機会が一向にめぐってこなくて、申しわけないやら。まさか就職浪人かなぁ……と焦り始めた大学4年の夏、ようやく1社から内々定をもらった。
ここで、ドキッとしたのは、健康診断書の提出を求められたことだ。今思えば、企業が採用するときの一般的な流れではある。けれど、21歳で世間知らずの私は、「健康じゃないと雇ってもらえない可能性があるんだ!」と衝撃を受けた。このとき初めて、自分の境遇を対外的に意識したような気がする。
「『尿たんぱく・尿潜血が認められる』と健康診断書に書いてありますけど」
面接官は私の目をジッと見て言った。うわわ、どうしよう……と、あぶら汗を流していると、「お仕事がんばれそう?」と質問を変えてくれた。そして面接官は、私の人生初の上司になってくれた。
自己研さんのためにためた500万円を片手に
そんな上司の期待に応えたくて懸命に働いた。仕事覚えが悪く、たくさん迷惑をかけた。それなのに、意外にも上司のはからいで「新人賞」を受賞することができた。全社員に配られる社内報に載せてもらったりして、天にも昇るくらいうれしかったけれど、その一方で、気持ちはさらに前へ、外へと向いてしまっていた。「手に職をつけて“何者”かにならないと。若く、腎臓がまだ元気なうちに」と。
3年後、私はお世話になった上司に頭を下げ、3年かけてためた自己研さんのための500万円を片手に地元・広島を出た。
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