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野村監督の死に思う

四朗

奥様に先立たれたあと、急に生気を失った様子をテレビが報道している。「人は家族のために生きる」と言っていたが、その家族を亡くしたので、生きる目標がなくなってしまった。「俺は弱い人間だ」とも言っている。野球界の大物としては、異例な気がする。世界の王さんを見ろ。王さんも奥様を亡くされて久しい。しかし、彼が弱音を吐いたところを見ない。野村監督の生き方は、奥様に寄りかかっていたようだ。
私も昨年6月に家内を亡くした。突然の死ではなかったが、ショックはあった。しかし、悲しんでいては何もできない。葬儀、四九日法要、忍ぶ会、関係先への連絡、相続の事務など、否応なしにしなければならなかった。
私には、幸いにも、家内を慕っている多くの人がいる。毎月数人の方が仏前に線香を上げ、一緒に食事を作り、サロンを開いてくれている。
自身も、近所に人を集め、童謡唱歌を歌う会を主催している。また、合唱団でベースを担当し、舞台にも立っている。体力保持のトレーニングにも励んでいる。また、地域の小学校サポーターも考えている。
生きる喜びをさらに強固なものにしたいと思っている。

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必要とされる喜びと自分の求める喜び

寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受

難しいですよね。
人に必要とされるということは重要でも、必ずしも、みんなそのような役割を手に入れられるわけではありません。
お父様も、たまたま状況に恵まれた部分はあるでしょう。

自分自身も、医師としては、特殊な人間ですから、そういう事は何度も考えてきました。
その中で、自分の立ち位置や、その状況ごとの切り分けができると言うことが大事なのではないかと思います。
自分のしたい事、されたいこと、相手のしたい事、されたいこと、相手や自分の定義も様々ですが、考えると言うことが技術だと思います。
昔のオリンピック選手が「自分で自分を褒めたいと思います。」なんていいましたけど、さじ加減は大事です。

半年前から教えている母校のサッカー部の部員が春大会で優勝して、それで変わってくれる選手と、そんな事より、心づけやほかのOBからの支援を喚起する事を評価される場合があります。

本当は、僕自身が真心で教えている、人の見方、状況の見方、ボールの持ち方、心の持ち方の方が、きっとサッカー選手としても、医師としても宝物になると信じているんですけどね。

自分も、教える事より、実は自分が良い選手と良い練習や試合ができることの方が嬉しいからどっちもどっちなのかもしれません。

お金で買えるのは、みじめさを避ける事だけ。
本か漫画で見た知識が突き刺さります。

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