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心のアンチエイジング~米寿になって思うこと

コラム

働くことで、脳の報酬系を動かす

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 僕の親父おやじは内科医でしたが84歳の時に引退し、東京・世田谷のクリニックと住まいを畳んで、静岡県熱海の有料老人ホームに移り住みました。伊豆山の中腹にあり、眼下には相模湾が展開する絶好のロケーションです。私たち夫婦の横浜の住まいからは片道1時間ほど。月1回は訪ねるようにしました。食事付きで、医務室もあり、いざという時は提携した医療施設も整っています。つい住処すみかとしては申し分ない環境のように思えました。

老後のゴルフ三昧に感じるむなしさ

 ゴルフが唯一の趣味で、引退してからは毎日ゴルフ三昧で幸せそうでした。ですが、半年ほどった時、なんとなく落ち込んでしまったのです。
 「お前な、俺は84歳までは毎日、人のために働いてきた。今はゴルフを楽しんでいるが、何も人の役に立っておらん。生きているかいがない」と言い始めました。
 ちょうどその頃、ホーム内で住人たちのいざこざがあり、最長老ということで調停を頼まれ、うまく解決し、委員長に祭り上げられてしまいました。「俺でもな、まだ役に立つんだ」と元気を取り戻し、ゴルフの方も3度目のエイジシュートを果たしたことから、ゴルフダイジェストに高齢者のゴルフ術の連載を始め、全国を講演して飛び回るまでになりました。

最大の生きがいは、人に必要とされること

 人にとって最大の生きがいは、人に必要とされることと思い知らされたエピソードです。どんなことでも構わない。人の役に立っているという自覚が持てれば。
 こうして僕は親父の晩年を見ながら、二つのことを学びました。一つは「生きがい」の問題です。そして二つ目は老人ホームを含め、「高齢者の住環境」の問題です。
 今の僕は、「人は働ける限り働いていた方が幸せなのでは」と思います。ですから、少なくとも僕は元気な限り働き続けたい。親父が多忙な開業医の生活に区切りをつけた時には、「もうあの生活は一日たりとも続けられなかった」と当初は述懐していましたが、半年もすると何かやらないと落ち着かなくなってきました。どうも人は、必要とされる感じもさることながら、そもそも働くように作られているようです。

種族維持の務めが終わっても、個体維持の本能が働く

 近年、脳科学の進歩で大脳の中枢に「報酬系」という部位があるのがわかってきました。快感を覚える時にドーパミン、セロトニンなどが放出されます。仕事を成し遂げた時の達成感もこれらのホルモンの働きと言えます。
 そして人間には「個体維持」と「種族維持」の二つの本能があります。種族維持の務めが終わった後でも、個体維持の本能は働き続けます。仕事をして達成感というご褒美をもらう。そして人は生きる意欲を持ち続けるのではないでしょうか? もちろんペースはぐっと落としても良い。また、現役の仕事にこだわる必要は全くない。
 もちろん完全な引退も選択肢としてはありです。よく言われることですが、今の定年制は明治の頃、平均寿命が50歳代の時に作られたそうで、平均寿命が80歳代になった今、当然見直しが必要でしょう。また、実際には55歳から60歳へ、さらに65歳も念頭に置いた定年延長は始まっています。この辺で定年制そのものを見直しても良いのではないでしょうか?

父の高級高齢者用マンションで感じたこと

 次は住環境の問題です。僕ももう親父が引退した年齢をはるかに過ぎて、これからの住まいをどうしようか物色を始めています。これがなかなかの難題です。今の住まいに住み続けられればそれに越したことはありませんが、万一の時にどうするか? 認知症とか、車いす生活を余儀なくされたら? つまり要介護になったら? 決して万に一つではなく、もっと高い確率で起こり得ることでしょう。
 ですが、健常である今、介護状態はなかなかピンとこないし、考えるのも億劫おっくうというのが本音のところです。そして介護施設には法律上いろいろなカテゴリーがあって、どれが適当かはその時にならないと決めにくい状態です。
 親父の入っていた施設は介護付きではなく、一定以上の年齢制限はあっても、買い取り式のマンションでした。はじめに述べたように、いささか高額ではありますが、至れり尽くせりの設備が整っていました。ですが、初めてロビーに足を踏み入れた時、何か違和感を覚えたのを思い出します。あまり適当ではないかもしれませんが、ふと「死を待つ家」という言葉が浮かんだのです。明るいロビーには2組ほどの老夫婦がソファで休み、大きな窓の彼方には相模湾がひらけています。

世代間の触れ合いが必要

 なぜだろう? そう、子供がバタバタ走る音や、赤ん坊の泣き声が聞こえてこない。何か無菌的な、つまり生活臭がないのです。昔、3世帯同居が当たり前の頃は、自然に世代間の触れ合いはありました。今、核家族の延長線上に高齢者が押しやられ、孤独死が問題として取り上げられている時、高齢者が人とのつながりをいかに維持するか、これは生きがいにもつながる問題として、これからの課題と言えます。
 例えばアメリカなどでは5、6軒の集合住宅の中庭を共有スペースとして、居住者の交流を図るタイプも人気が出ています。我が国の住宅事情では難しいかもしれませんが、そのコンセプトは日本でも取り入れられて良いのではないでしょうか。(塩谷信幸 アンチエイジングネットワーク理事長)

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塩谷信幸(しおや・のぶゆき)

1931年生まれ。東京大学医学部卒業。56年、フルブライト留学生として渡米、オルバニー大学で外科および形成外科の専門医資格を取得。64年に帰国後、東京大学形成外科、横浜市立大学形成外科講師を経て、73年より北里大学形成外科教授。96年より同大学名誉教授。日本形成外科学会名誉会員、日本美容外科学会名誉会員。NPOアンチエイジングネットワーク理事長、日本抗加齢医学会顧問、アンチエイジング医師団代表としてアンチエイジングの啓蒙活動を行っている。

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1件 のコメント

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必要とされる喜びと自分の求める喜び

寺田次郎 関西医大放射線科不名誉享受

難しいですよね。 人に必要とされるということは重要でも、必ずしも、みんなそのような役割を手に入れられるわけではありません。 お父様も、たまたま状...

難しいですよね。
人に必要とされるということは重要でも、必ずしも、みんなそのような役割を手に入れられるわけではありません。
お父様も、たまたま状況に恵まれた部分はあるでしょう。

自分自身も、医師としては、特殊な人間ですから、そういう事は何度も考えてきました。
その中で、自分の立ち位置や、その状況ごとの切り分けができると言うことが大事なのではないかと思います。
自分のしたい事、されたいこと、相手のしたい事、されたいこと、相手や自分の定義も様々ですが、考えると言うことが技術だと思います。
昔のオリンピック選手が「自分で自分を褒めたいと思います。」なんていいましたけど、さじ加減は大事です。

半年前から教えている母校のサッカー部の部員が春大会で優勝して、それで変わってくれる選手と、そんな事より、心づけやほかのOBからの支援を喚起する事を評価される場合があります。

本当は、僕自身が真心で教えている、人の見方、状況の見方、ボールの持ち方、心の持ち方の方が、きっとサッカー選手としても、医師としても宝物になると信じているんですけどね。

自分も、教える事より、実は自分が良い選手と良い練習や試合ができることの方が嬉しいからどっちもどっちなのかもしれません。

お金で買えるのは、みじめさを避ける事だけ。
本か漫画で見た知識が突き刺さります。

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