リングドクター・富家孝の「死を想え」
医療・健康・介護のコラム
生命(いのち)を救う最終手段 「臓器移植」はなぜ増えない?
日本人の死生観からドナーは増えない
なぜ、日本ではドナーが増えないのでしょうか?
早急に移植しないと助からないと、渡航移植を希望する子供への募金活動では、お金が集まります。また、有名人が白血病を公表して骨髄移植がメディアで報道されると、骨髄バンクへの登録者が増えます。しかし、いずれも一時的なことにすぎません。自らドナーとなる人間はほとんどいないのです。
これは、日本人の死生観が諸外国と違うからだと、私は考えています。日本人は、体を切られることを極端に嫌います。死後も体には魂が宿っていると考えるからでしょうか。亡くなられた患者さんの遺族に臓器提供の許可を求めることがあります。すると、「死んでまで、なぜ体を切り刻むのですか」と反対されることが多いのです。2010年の改正臓器移植法により、患者の死後に示された「家族の同意」で臓器提供ができようになりましたが、現実はこのような状況です。
「拒否」の意思表示がないと同意とみなすのは
臓器提供をするには、本人および家族の同意が必要です。「ドナーカード」で同意の意思を示すか、運転免許証や健康保険証の裏面などにその旨(同意するかしないか)を記すことになっています。しかし、それをしている人は10人に1人です。
そこで思うのは、意思表示をしていない人の場合は、臓器提供の意思があるとみなすという制度の導入です。これを「オプトアウト方式」といい、スペインはすでに実施しています。また、オランダでは昨年、全成人がドナーとなることを原則とする法案が成立しました。これにより、オランダ国民は事前に拒否の意思を示さない限り、全成人がドナーとして登録されることになりました。
こうした制度は日本になじむでしょうか。「家族の同意」で臓器提供できるようになってもうすぐ10年ですが、ドナーはほとんど増えていません。人工透析の苦痛から自由になれる臓器移植を広げるには、次の制度に向けた議論を始める時が来ているのではないか、と私は思います。
みなさんは、どう考えますか?(富家孝 医師)
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確かに透析は辛くて大変だと、聞いています。でも一部の方ですが大っぴらにお酒を飲んでいる方も居たり、人前でインシュリンを、打つ方をみると病気をバカにしているしか思えません。
それで自分は大変だ‼️って言っている方を見てしまったので移植に対しての、気持ちが無くなったのも事実です。
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僕は不可解な印象で、むしろ芸能人によくある「世間を騒がせた罪」的な意味合いで、世論を落ち着かせるために議論が無理やり決着させられた感じがします。
確かに、当事者でもなければ、透析学会幹部でもないので、公式な意見ではありませんが、本当に十分な説明が患者や家族に伝わっていたかは不明です。
モラルがなければ、証言やカルテなどの記録が簡単に作れてしまうことの怖さをいったい何人が理解しているでしょうか?(知っている方が異常なのかもしれませんが。)
ところで、「生命を救うのは臓器移植」という考えに僕は疑問を感じます。
血液透析や腹膜透析の手間や苦しみを思えば、一定数の患者には臓器移植こそが完全なる救いなのでしょうが、透析その他の人工臓器は救いではないのでしょうか?
臓器移植の厳密な運用は文化的な側面だけでなく、人身売買や巧妙な殺人事件の回避の意味合いもあります。
そして、傷ついた腎臓を抱えたまま生きる生命や生活をどう評価するかが隠されています。
言い換えれば、「命を救う」というのは客観的な一つの言葉でくくりきれないものを、ある程度第三者でも了解可能な表現や多面的な意味合いに置き換えて形作っていることに確信犯であるべきではないかと思います。
令和という日本固有の書籍由来の元号が他国を刺激していることや北方領土が日露関係だけの問題でないことに似ています。
(ついでに言えば、太平洋戦争で死んだのはアジアや欧米の民衆だけではなく、沖縄を含む日本の民衆です。)
それに、ひとたび出来上がった制度や文化を急速に破壊することはそれはそれで大きな問題を生む母床です。
フードロスに、様々な廃棄コストなどの無駄、税務処理上の問題や、(たまにパソコンに穴をあけて消しても不問)政治献金などのトラブルを考えれば、透析で生かされる命が無駄か否かというのは、少なくとも保留にしていいのではないかと思います。
命を救うの名のもとに、どれだけの問題や流血が起こったか、歴史を考えればわかるでしょう。
命より正義をふりかざしたかと思えば、正義より命や平和の大切さを説いたり、人間は節操のない生き物ですが、まだましなやり方はあるでしょう。
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