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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

コラム

慣れるから大丈夫!?…無責任に言うのはNG

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慣れるから大丈夫!?…無責任に言うのはNG

 「先生、最近ようやく衝突したり、転んだりすることがなくなりました」

 そう診察室で報告してくれたのは、20年前に (ちょう)(けい)(こつ)縁髄(えんずい)膜腫(まくしゅ) という脳腫瘍の手術を脳外科で受けた、現在70歳代後半の女性です。この腫瘍は、目の情報を脳に届けるルートである脳内の視神経から ()(こう)() (視神経が交差する場所)の近くにできるため、腫瘍による圧迫や手術により、そのルートの一部に損傷が起こり得るのです。この方も、左目の視神経が特にダメージを受け、ほとんど見えなくなりました。右目は何とか視力は残りましたが、右半分の視野が見えなくなってしまったのです。

 眼科では、治療としてこれ以上できることはありませんが、半年に1回程度、通院していただきました。幸い、何事もなく、もう20年が過ぎたのです。

 彼女の「最近ようやく」というところが気になって、私は聞いてみました。

 「初めは歩くのが怖かったですか、右から来るものが見えなかったりして。何年くらいで慣れてきたのですか、手術して3、4年ですか」

 「とんでもない、10年以上かかりました。ぶつからない、転ばないと自信が出てきたのは、本当にここ2、3年です。もっとも、足腰が弱くなって慎重に歩くからかもしれませんが」

 彼女は笑って答えました。

 かつて、英文の医学の教科書に「高齢者による移動中の転倒事故の25%は視覚の問題が原因」と書かれていたのをみて、びっくりしたことがあります。日本にそのような研究は見つけられず、高齢者は足腰が弱いから事故が多いのだろうと勝手に思い、眼科医なのに () のことは眼中になかったからです。

 話を聞きながら、そんなことを思い出していましたが、今は慣れたとはいえこの20年間は、彼女にとっては不自由だし、危険が多かったのだと思います。

 よく我々は、片目をけがしたり、視力や視野に障害が起こるような病気になったりしても、「だんだん慣れるでしょう」などと無責任なことを患者さんに言います。きっと、いろいろな不都合や危険があり、心身の負担も尋常ではないだろうとは思いますが、「慣れますよ」という言葉を発することで、都合よくその実態への想像力や思考を停止してしまうのでしょう。

 ここ10年、私はいろいろな医療保障関連の裁判の意見書を書くことが多くなっています。それで気付いたのですが、被告側(多くは行政や企業側)の弁論の中で、患者が「慣れてきた」「落ち着いてきた」といった記載が診療録にあると、実はたいして不都合はないのではないかということの論拠として持ち出してきます。

 患者側としても、調子の悪い状態が継続していても、診察のたびに同じことを言うのははばかられるでしょうし、医師も、相変わらず調子が悪いなら、そう患者が述べても繰り返し診療録に記載はしないでしょう。

 患者の心理としては、状態の悪い中で少しでも良いと感じた瞬間があれば、それを医師に報告したくなるのは当然です。

 慣れてきたことやリハビリで機能が上がってきたことで、患者の努力を評価するならともかく、当初のけがや病気は軽かったのだと結論づけることには慎重であるべきです。特に、症状や障害をフェアに評価すべき医師の立場としては、「大丈夫」「軽い」と安心させるのはいいのですが、患者の情緒的言葉を過大評価すれば、むしろ患者にとって不利になる場合があることを知らなければいけないと、自戒をこめて感じています。

 (若倉雅登 井上眼科病院名誉院長)

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任し、15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人---心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」(青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半には講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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