心療内科医・梅谷薫の「病んでるオトナの読む薬」
医療・健康・介護のコラム
継父に襲われかけた日、母に「産むんじゃなかった」と言われ家を出た…38歳女性に届いた「母危篤」の知らせ
「母のお見舞いに行く決心が、どうしてもつかないんです」
O代さんは、険しい表情でそう切り出した。
彼女は38歳の女性。うつ病と不安障害の病名で心療内科の外来に通い、もう10年になる。
最初は「児童虐待」の相談からだった。3歳になる娘の育児でイライラがつのり、カッとなって、ひっぱたいたり突き飛ばしたりしてしまう。「ごめんなさい! ごめんなさい!」と泣き叫ぶ娘に、ますます怒りがこみ上げてきて、暴力が止まらなくなる。はっとわれに返ると、娘があざだらけで倒れていて、あわてて「ごめんね!」と抱きしめる。そんなことが、よくあった。
出会った男は暴力、借金、女遊び…
「私はダメな母親なんです。その上、男運もない。ホント、サイテーな人生ですよね」
彼女は19歳で結婚したが、夫の暴力で離婚。その間は、内出血や骨折で病院通いの日々だった。22歳で 同棲 した男は、借金まみれ。O代さんに夜のバイトをさせて遊び回っていた。
それに比べ、24歳で知り合った彼はとても優しかったが、その分、遊びは派手だった。彼との間に娘が生まれ、「これで結婚してくれるだろう」と期待したのに、「勝手に妊娠した」と責め、彼女のもとを去った。
初めて心療内科を受診した頃は、育児ノイローゼがひどく、抑うつ感や、強い不安、やけ食い、自責の念……。精神的にボロボロだった。うつ病と不安障害、睡眠障害の治療を続けながら、カウンセリングを受けてもらい、彼女の生い立ちを聞いた。
母の留守中に継父が
O代さんが語ったのは、母親への強い憎しみだった。
「母は本当にひどい人でした」と彼女は語った。両親はいわゆる「できちゃった婚」。母親は、彼女を愛することができなかったようだ。
「母からは叱られた記憶しかありません。『うるさい』『すぐ泣く』『ネクラ』『ブス』『性格が悪い』……って、毎日難癖をつけては、私を叱るんです」
結局、両親は離婚し、その後は母の男遍歴が続いた。正式に再婚したのは、彼女が16歳のときだった。
「私に色目を使うような男。体に触ってきたり、お風呂をのぞいたりして、とてもイヤでした」
母親の留守中に、継父は、彼女の部屋に入ってきた。押し倒し、強い力で強引に関係を迫った。
「驚いて声も出なかった。恐怖でパニックでした。たまたま手に当たった鉛筆削りで顔を殴って逃げました」
母親の帰りを待って、家に戻った。事情を話し、「何とかしてくれ」と懇願した。
「でも、母は全くわかってくれませんでした。『うちの人に色目を使ってすり寄るなんて、メス豚もいいとこだね。冗談じゃないよ!』。そして言ったんです。『あんたなんか、産むんじゃなかった!』って」
それは小さい頃から、O代さんがよく言われた言葉だった。しかし、このときはひどくこたえた。
「ああ、私はこの人の人生を不幸にしてきたんだ……一緒に暮らすのはもうムリだって思いました」
彼女はそのまま家を出て、遠くにいる叔母の家に転がり込んだ。
「叔母の家で過ごした数年間が一番楽しかった。私の人生、その前も後も、悲惨ですよね」
と、O代さんはつぶやいた。
1 / 2
【関連記事】
わからないど
あ
似たような経験を持つ自分でさえ、同じ状況になればどういう対応をするか、いまだにわからない。けれど、その人が呪縛から開放されたのなら、それが、正解...
似たような経験を持つ自分でさえ、同じ状況になればどういう対応をするか、いまだにわからない。けれど、その人が呪縛から開放されたのなら、それが、正解だったのだと思う。
つづきを読む
違反報告
憎み続けるよりはよかったと思う
ひろ
最後にそう言えたことで、たぶん、O代さんは少しでも前に進めたと思う。憎み続けたままだと、O代さんも、ずっと成長できないままで、嫌なことだけが頭の...
最後にそう言えたことで、たぶん、O代さんは少しでも前に進めたと思う。憎み続けたままだと、O代さんも、ずっと成長できないままで、嫌なことだけが頭の中をぐるぐる回り続けてしまう。許せる自分を褒めてあげてほしい。
つづきを読む
違反報告
この人が救われたのなら、それで正解
よち
自身も「毒親」持ちとして、少し考えさせられた。けれど、私は許せそうにない。いまだに体の調子が悪いと、心も釣られて悪くなり、悪夢を見る。そして、や...
自身も「毒親」持ちとして、少し考えさせられた。けれど、私は許せそうにない。いまだに体の調子が悪いと、心も釣られて悪くなり、悪夢を見る。そして、やはり親兄弟とは必要のないものだ、と落ち込みつつ、納得する。この方は、すべてのタイミングで許せて、許されたのだろう。きっと悔いのない人生を歩めるだろうし、お子さんにも優しくなれるんじゃないだろうか。虐待の連鎖が続かなくて良かった。私は、次へとつなぐことすらしなかった。自信がなかったからだ。そしてそれは正解だったと思える。それぞれの正解、それぞれの幸せでいいだろう。そう思わないと生きていけない。
つづきを読む
違反報告