心療内科医・梅谷薫の「病んでるオトナの読む薬」
医療・健康・介護のコラム
うつの46歳母が「もう、料理を作りませんっ!」…でも、非料理宣言のシナリオを描いたのは…
「じゃ、やめちゃえば!」と娘が
何度目かの「うつの波」がおとずれた後、高校3年になっていた娘に相談した。
「お母さん、もう食事を作るのがしんどくて……」
「じゃ、やめちゃえば!」と娘が言った。「やめる? 食事を作るのをやめるの?」とM江さん。
「だって、私ももうイヤだよ。お母さんが毎日、料理を作れなくて苦しんでいるのを見るのは」
そう言われて初めて気づいた。料理を作らなくてもいい。そんな選択肢があるんだ、と。
女は料理を作るもの。そう教わってきた。お母さんもおばあちゃんも、料理を作り続けてきた。 美味 しいものは大好きだし、好きな人には食べてもらいたい。そんな当たり前のことを手放すなんて、考えてもみなかった。
「非料理宣言」のプランは、娘が考えてくれた。子どもたちは、コンビニ弁当でやっていけると言う。母の手料理より、コンビニの弁当の方が好きだと改めて知って、少々ショックだったけれど……。
夫については、どうだろう?
「だいたい、食事は黙っていても出てくるものって考えているのが、チョーむかつくんだよね」
娘が言った。M江さんの体調が悪いとき、代わりに台所に立っていたのは娘。その恨みも含まれているようだ。
「いい、お母さん。きっぱりと言い放つのよ。はい、もっと大きな声で……」
と、何度も練習させられた。M江さんは最初、とまどっていたが、そのうちにだんだん楽しくなってきた。自分をずっと苦しめていたものが、少し見えてきた気がしたのだ。
知らされた意外な事実
そして、夕食の場で高らかに「宣言」をした当日。終わったあとで、娘と話し込んだ。
「何だか、思った通りの反応で、拍子抜けしたよね」
娘に言われて、M江さんは苦笑した。
「うちの男性陣は、ブレないというか、変わらないねぇ」
「でも案外、捨てたもんじゃないんだよ」
という娘の発言に、彼女はちょっとびっくりした。実は、M江さんが倒れている時期に、他のメンバーで何度か「家族会議」が開かれていたのだという。
「お母さんのために、それぞれできることをしよう」
と夫が提案し、子どもたちもいろいろ考えた。娘が料理できないときは、自分で食事を買ってくる。M江さんの前で料理の話はしない。文句を言わない。自分のことは自分でできるよう、子どもたちもがんばったのだ。
「『あぁ、私はやっぱり家族に支えられていたんだ』って思えました。それが一番うれしかった……」
M江さんは、心療内科の外来でそんな話をしてくれた。
「料理をつくらないって宣言したら、気持ちが楽になりました。家族もそれを認めてくれる。うつっぽくなったら、じっとして、体調が回復するのを待っていればいいんだって」
彼女はさらに続けた。
「おかげさまで、うつの症状もだいぶ軽くなりました。最近は、気分が良いと料理を作るんです。たまに作るといいですよね。家族が感激するんです。あの夫まで『お、今日はお母さんの手料理か!』って喜んでくれる。ちょっと笑っちゃいますよね」
M江さんはそう言って、明るくほほえんでくれた。(梅谷薫 心療内科医)
*本文中の事例は、プライバシーに配慮して改変しています。
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