心療内科医・梅谷薫の「病んでるオトナの読む薬」
医療・健康・介護のコラム
うつの46歳母が「もう、料理を作りませんっ!」…でも、非料理宣言のシナリオを描いたのは…
「私はもう、料理を作りませんっ!」
M江さんは、きっぱりとした口調で、そう宣言した。
だが、食卓を囲む家族の反応は鈍い。夫は「ふーん」と興味なさそうにつぶやいて、スマホのニュースを見ながら食事を続けた。高校3年の長女は黙って食べている。高校1年の長男だけが、「え~っ?」と反応した。
「お母さん、本気? じゃ、誰が食事作るの?」
「あなたたちには、食事代を毎日渡します。帰りにコンビニで朝ご飯を買って冷蔵庫に入れる。昼は学校の食堂。夕食も帰りに買ってくるのよ。栄養のバランスはお母さんがみているから」
彼女は子どもたちに、そう説明した。
育児に家事にパート…
M江さんは46歳。診断は「うつ病」。現在は、安静と薬で少し体調が戻っている状態だ。15年前に発病した頃は本当に大変だった…と、彼女はその当時のことを思い出す。
夫は残業残業の毎日で、連日のように帰りが遅い。小さな子どもたちを保育園に送り届けて、M江さんはパートの仕事に出かけた。人手の足りない職場でクタクタになって、帰りに子どもたちを迎えに行き、スーパーで買い物。子どもたちの相手をしながら、夕食を作り、子どもたちに食べさせながら掃除と洗濯。夫の帰りを待ちきれなくて、寝落ちすることも多かった。
ある朝、体がだるいことに気がついた。気分がどんよりして、頭が痛い。「風邪かなぁ?」と思いながら、朝食を作って、子どもたちを送っていく気力がないことに気づいた。
保育園と職場に電話して、お休みをとった。風邪薬を飲んでじっとしていたが、ずっと体調が戻らない。一番困ったのは、食事を作れなくなったことだった。
母の厳しいしつけで完璧主義に
M江さんのお母さんはしつけに厳しい人だった。小さい頃から、勉強も料理も、人一倍努力させられた。結婚後も、家計を助けるためにパートの仕事を毎日こなし、子どもが生まれた後も、育児や家事に全力をつくした。完璧主義の彼女にとっては、それも当然のことだったのだ。
しかし、体調を崩したあとは、すべてができなくなった。
朝は全身がだるくて起きるのもやっと。午前中はずっと寝込んでいて、午後に買い物に行く。でも、何を買っていいかがわからない。イメージもわかない。食事がおいしくないと、食材を買うのがこんなにも苦痛なのだということを、彼女は初めて知った。
家に帰ってもだるくて動けない。買ってきた食材を積み上げ、横になって眺めながら、「誰がこれを作るんだろう?」と自問する日々が続いた。
抑うつ感、気力低下、不眠、不安…
私の外来を受診したときは、かなりひどい状態だった。うつ病の自己評価尺度は54点(正常は0-16点)。抑うつ感、気力低下、全身 倦怠 感、不眠、不安……典型的な「うつ病」の症状がそろっていた。
うつ病の薬を処方し、十分な睡眠と安静が必要なことを説明した。相談して決めた生活リズムを守っているうちに、彼女の病状は少しずつ改善していった。
久しぶりに子どもたちの食事を作れたとき、M江さんは、思わず涙を流した。ふがいない自分を、毎日、責め続けていたのだ。これでようやく「元の自分」に戻れる。そう思った。
しかしこの病気は、そう甘いものではなかった。
気圧が低いと、朝から気力がわかない。再開した仕事も休みがちになってくる。育ち盛りの子どもたちの食事さえも作れない。それが、彼女にとって一番こたえることだった。
「夫は、まぁ仕方がない」とM江さんは思った。夫は、たまに家で食べても、感謝するわけでもない。夫の好物を買うのさえ、何だか面倒になってきた。それを責められると、母からの叱責がよみがえってくる。だんだん夫を嫌いになっていく自分が悲しかった。
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