夫と腎臓とわたし~夫婦間腎移植を選んだ二人の物語 もろずみ・はるか
医療・健康・介護のコラム
誰がドナーになる?…「腎臓あげるけんね」夫のほかに名乗り出てくれたのは
夫婦間腎移植を受けた後、私も夫もよく笑うようになった。移植前のどんよりとした空気感がうそのよう。夫婦で命を共有しているという一体感が、関係性をより良くしてくれている感覚がある。
土日は自宅にヨガマットを敷いて、夫婦で長友佑都さんの「体幹×チューブトレーニング」に励んでいる。汗をにじませながら、夫がこんなことを言った。
「移植から1年たったけど、やっぱり僕がドナーになって良かったよね。もし義父や義姉にお願いしていたら、きっと後悔していたと思う」
「お父さんの腎臓あげるけんね」と言われて葛藤
さかのぼること3年前。実は、夫の他にドナー候補者が2人いた。父と姉だ。父は、私が末期症状になる5、6年前から、「いつでもお父さんの腎臓あげるけんね」と言って、病んだ私の心を抱きしめてくれていた。けれど、うれしい反面、健康な体にメスを入れることへの葛藤は大きくなるばかりだった。許されるなら、亡くなった方から腎臓を提供してもらう「献腎移植」を希望したかった。
しかし、日本臓器移植ネットワークに問い合わせると、献腎移植希望者に対してドナー数が圧倒的に不足していることがわかった。順番が回ってくるのは約15年先だという。
2016年夏、アメリカ在住の姉が里帰り帰国したタイミングで、父と姉の2人が、ひとまず私への移植に「適合するかどうか」だけ調べてみることになった。ところが、簡易的な血液検査で、父がドナーに適さないことが判明。「お父様は糖尿病の気がありますね。無理はさせられません」と医師に指摘された。姉は健康そのものだったが、物理的に難しいことがわかった。
姉は、夫と娘とアメリカに住み、フルタイムの仕事も抱えている。仮に適合したとしても、手術後に健康を損なうことがないよう、ドナーは心臓、肺、メンタル面など約10項目の検査を外来で受ける必要があった。その都度、帰国するのは、金銭的にも時間的にも無理があった。それと、やっぱり姉の腎臓は、家族に何かあった時のために大切に取っておいてほしいと、私は思った。
そんなとき、「僕の腎臓をあげる」と言ってくれたのが夫だった。“改めて言ってくれた”という方が正しい。5~6年前にも「あげる」と言ってはくれたのだが、夫が本当に覚悟を決めたのは、このときだったと思う。
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たまたま、目にしました。 この15-20年で、改善した部分もあれば、先送りにされた問題も多い医療界。 腎移植もテーマになっています。 文明は急速...
たまたま、目にしました。
この15-20年で、改善した部分もあれば、先送りにされた問題も多い医療界。
腎移植もテーマになっています。
文明は急速に進化しても、人間の理解や社会のシステムは中々動かない問題もあります。
簡単に動いてはいけない問題もあります。
モノの消費と浪費の区別が困難なのと、人間の命の意味や価値の多様性の判読が困難なのは似ています。
ある価値観が動くことが、理解を重ねた個人や小グループには良くても、そうでないグループには違う影響を与えることもあります。
肉親の絆もその一つの行為で、全体のバランスが壊れることもあります。
精神科や心療内科の共依存という言葉を考えれば、人間社会の複雑性は理解できます。
2-5人程度のユニットでさえ、変化は様々な変化を副次的に強いるわけで、バタフライ効果を思えば、様々なことが様々に複雑です。
本文に対する答えにならない答えみたいなものでもあります。
一方で、腎移植や透析という生存手段に関して、我々は理解を深める必要があるのは確かです。
いま、放射線科医というマイナーな分野が漫画やドラマになりました。
過去を見ても、人気の無い科や切羽詰まっている科を持ち上げる創作が多いような気もします。
社会の意向もあるでしょう。
一方で、専門科に丸投げすることは、人間としても、患者としても、双方に不利益が生じることが多いです。
学ばなければならないことが多い時代に辟易しますが、学び続けられるインフラや社会状況も含めて衆知を集めていく必要があります。
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