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ピック病(認知症)介護『父と私の事件簿』

介護・シニア

階段を下りると血に染まったティッシュの海…振り返った父の額は骨だった

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 小泉八雲の「 (むじな) 」という怪談に、夕方、のっぺらぼうの女に出会ってしまった商人が、驚いて逃げ込んだ 蕎麦(そば) 屋の主人に、その話をしたところ、「こんな顔でしたかい?」と振り返ったその主人の顔も、のっぺらぼうだったというシーンがある。この瞬間、商人がどれほど息をのみ、驚きと恐怖にとらわれたか私にはわかる気がする。なぜなら私も、部屋でたたずんでいた父が振り返った瞬間、信じられないものを見たからだ。

額の骨がむき出し 騒ぐ私に父は「大げさだ」と…

 昨年の7月末、気が遠くなるほどの暑い日のことだった。ピック病の特性である「時計的行動」の一つか、父は毎日、見回りに行くように、何回もスーパーに出かける。運動になるからいいと、ケアマネさんと医師は推奨しているものの、この日も午前中に2度、買い物に出かけ、昼過ぎにまた「駅前に行く」と言う。「暑いからもうやめて」と止めたが、振り切って出かけてしまった。ストップがきかないのも、今思うと、ピック病の症状であり、この日はいつもよりイライラ気味であった。

 熱中症を心配したものの、2階で仕事をしていると、しばらくして父が帰ってきた音がした。この時、すぐに階下に行けばよかったのだが、帰宅を確認して安心し、仕事に戻ってしまったことは、痛恨だ。

 ふと気が付くと20分ほどたっており、まだ父が2階の自室に戻った気配がしない。それを不審に思い、1階に下りると、白い洗面台が鮮血で赤く染まっている。驚いて居間にかけこむと、血に染まったティッシュの海が床に広がっていた。

 ふと横をみると、窓辺に父親がたたずんでいる。状況にそぐわぬ静かな後ろ姿がかえって不安で、「これ何?」と呼び掛けると、「なんでもない」と言いながら父が振り返った。私は息をのんだ。

 額は 血糊(ちのり) でどろどろだが、それだけではなく、何か違和感があった。よく見ようと近づくと、その血糊の下から見える部分が妙に白っぽく、 平坦(へいたん) だ。そして気がついた。額の大部分が骨がむき出しになっている。

 すぐに救急車を呼んだが、「大げさだ」だと言う父。まったく痛くなさそうなのが、かえって怖い。隊員の方の聞き取りにも、笑いを交えて答えている。買い物の帰り道に、頭から転んだことはわかったが、それでどうなったら、あんな状態になるのだろう。

流しに捨てた皮膚を探しに、急いで帰宅

 市民病院の救急外来。30分ほどして、父を診た医師が出てきてこう言った。「おでこの皮も肉もないから縫えないんだよね。『流しに捨てた』と言っているから、暑さでだめになっているかもしれないけど、取って来てくれない?」

 捨てたって何? 自分の耳を疑ったが、すでに感情はまひしている。タクシーに乗って家に戻り、流しの生ごみを引っかき回した。皮か、皮つき肉か、自分の探しているものの形状はよくわからないが、指にぷりぷり、ぬめっとした肉付きのシャケの皮のような、手触りのものがあたった。それは何片かあり、「これだろうか?」とよく見たが、気が動転していて判断できない。しかもお昼に桃を食べていたので、その皮が人間の皮に似ていてまぎらわしい。疑いのあるものは、みんな氷水と一緒にビニール袋に入れて、ダッシュでタクシーに乗って病院に戻り、先生に渡した。

 残念ながら、やはりそれは使えなかった。皮と肉がたとえ垂れ下がっていても、額についていれば、処置としては縫って終わりだったそうだ。それを思うと、今も本当にくやしい。

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田中亜紀子(たなか・あきこ)
 1963年神奈川県鎌倉市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後、OLを経て、ライター。女性のライフスタイルや、仕事について取材・執筆。女性誌・総合誌などでは、芸能人・文化人のロングインタビューなども手がける。著書に「満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか」(PHP新書)、「39.9歳お気楽シングル終焉記」(WAVE出版)。

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