ピック病(認知症)介護『父と私の事件簿』
医療・健康・介護のコラム
階段を下りると血に染まったティッシュの海…振り返った父の額は骨だった
病院は「命に別条ないので入院できません」 おでこが骨なのに…
数時間後、医師から状況の説明があった。額に軽い陥没があるので、父が額から転んだのは間違いがなく、CT(コンピューター断層撮影)の結果は幸いにも問題なし。そして、出血からの貧血と、転んだ衝撃で皮膚と肉が 剥離 し、ちぎれたのか、大幅に骨が露出しているそうだ。悪いことに、この日は形成外科の先生たちが手術で来られないという。そのうえ、「専門の先生に聞かないとわかりませんが、これだけ広範囲に皮も肉芽組織も何もないので、皮膚の移植手術はできないかもしれません」と言われた。
「……ということは、おでこが骨のまま、これから生きていくってこと?」。思考がとまった私に、さらに「命に危険がないので、この病院に入院はできません。いったん帰宅して、明日、形成外来に来てください」という言葉がふってきた。
頭を打って、大出血して、おでこが骨になっていても入院できないなんて。家に帰った父が、貧血でふらついて、また頭から倒れたら、もうクッションになる皮も肉もないと考えるだけで気絶しそうな気になる。本人は痛みを感じないようで「何でもないから帰る」と点滴中のベッドから立ち上がったり、落ち着きがない。頼み込んで、その日だけ受け入れてくれる病院を紹介してもらい、夜遅くになって、その病院に移動した。
「けがして垂れた皮膚がじゃまだった」
どうしたら、おでこが骨になるのか。その謎は、入院した病院の看護師さんの「傷の断面がとってもきれいなんです。何で切れたのかしら」という言葉が、自分が流しで拾った肉片が、何片かに分かれていたことと結びつき、「もしかしたら」とひらめいた。帰宅後、家の中を探すと、思った通り、洗面所に血まみれの大きなキッチンばさみが落ちていた。
後日、父は「切れて垂れ下がった皮膚がじゃまだった」と語った。じゃまな部分を切った後、自分では手当のつもりで、鏡の前でじょきじょきと周囲も整え、続く出血をティッシュでぬぐい続けた結果が、膜さえもないあの状態なのだろうか。わからない。
3箱分に及んだ血染めのティッシュを掃除しながら考えたのは、私が外出していなかったのが不幸中の幸いだったこと。私は、家にいながら気づかなかった自分をずっと責めていたが、もし都内に仕事で外出していて、発見が遅れたら……。家にいてよかったとこの時、初めて思った。
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