本田秀夫「子どものココロ」
医療・健康・介護のコラム
「みんなと一緒」の強要は絶対にだめ! 自己肯定感を育んで…自閉スペクトラム症の子
「泣く」「怒る」を叱らない 要求や拒否の方法を教える
ASDの子どもたちは、とくに幼少時にはうまく要求や拒否ができません。自分の予想と異なる事態に対しては「泣く」「怒る」などの反応が多くなるため、大人はつい叱ってしまいます。しかし、将来、大人になったときに、他者に相談する習慣を身につけることはとても重要なことです。泣くことや怒ることは、相談という行動の最も原始的な形です。叱るのではなく、その子にできる別のやり方を示して、「こうすれば、もっとうまく要求や拒否の気持ちが相手に伝わる」ということを教えていくことが大切です。
まだ言葉が十分に出ていない段階では、指さしや首振りなどのジェスチャー、言葉が出てきたら「ちょうだい」「いやだ」などの言葉、といったように、子どもの発達に応じた要求や拒否のやり方を教えていく必要があります。
「本人がわかる形で伝えること」と「要求や拒否のやり方を教えること」を心がけ、ていねいに対応していくことで,自分で状況判断する力や他者と相談する力が育ちます。これらを育てることが,将来の自立につながる第一歩です。
同じ場で学ぶことと「みんなと一緒」は違う
近年、青年期、成人期のASDの人たちが、「うつ」「不安」「ひきこもり」などの深刻な二次障害で精神科クリニックや相談機関を訪れています。その人たちの多くが、「学校などで『みんなと一緒』を強要され、疎外感や孤立感を味わい、自信が低下した」と述べています。
考え方、感じ方が独特で、集団生活の中では少数派となりがちなので、みんなと同じことばかりさせられていると、常に違和感を覚え、学校などを自分の居場所と思えないまま漫然と生活を続けることになります。「子どもにASDの特性があっても、一般の学級で学ばせたい」と考える保護者や教師が多いのですが、同じ場で学ばせることを、「みんなと一緒」を強要することと絶対に混同しないよう、留意してください。
近年では,特別支援学級や通級指導教室などで、ASD特有の考え方、感じ方に即した特別な学習や生活体験の場を設けることによって、ASDの子どもたちの自己肯定感を高め、少数派なりの社会参加意欲を育てる試みが、少しずつなされるようになっています。そのような場を並行して活用することも、ASDの子どもたちの健全な成長には必要と思われます。(本田秀夫 精神科医)
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寺田次郎 放射線科サッカー部スペイン代表
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「女心がわかんなきゃお嫁さんになってあげないぞ」なんて昔のアニメにありましたが、わかっても合わせたくない場合もあります。
そういう組み手争いも含めて人間関係です。
判断や行動はある程度の幅で許容されるべきです。
そういう意味では、大人の社会は生活が自立できている限りにおいて楽ですね。
学校や会社では嫌な人とも関わらないといけませんから。
もちろん、自由度の高い生活を選ぶことが「しがらみを失う」という意味も理解するべきでしょう。
みんなと一緒と言えば、機会平等と結果の平等の理解も大事です。
それらが、本当の平等ではなく、皆の気分や政治に動かされがちなことも。
そういう毒をわかったうえで、違いに対する不平や不満がエスカレートすることの愚かさを我々は訴える必要があります。
「他者の気持ちを直感的に察することをしない」ように見える時、他の情報を優先する場合と情報の処理が間違っている場合と情報の処理後の行動のエラーがあり得ます。
(間違いやエラーの基準も人それぞれ、時代それぞれですね。 300年前の人が我々を見れば、農民でない平民の多さとちょんまげの少なさに驚くでしょう。)
おそらく、書籍とか昨今の映像機器により、人間や自然を相手にする時間が減り、自分の見たいものや聞きたいことだけ聴けるようになった弊害は間違いなく自閉症スペクトラムや類似の病態にも関わってくることでしょう。
スポーツにおいても「相手を見ること」に成長のコツがあることを知れば、全国の運動部員から徐々に変わって行くことでしょうか?
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