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ピック病(認知症)介護『父と私の事件簿』

介護・シニア

「病院に行って」と言う娘に激怒し、父は殴り掛かってきた 教育者で穏やかな人だったのに…

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画像検査で確認 側頭部への血流が少なく

 この小銭の独り占め事件の後も、そういう情けない気持ちになる出来事が数々起こった。混み合う役所の窓口で、「こんなに待たせて俺を誰だと思ってるんだ」とどなる。お葬式や親せきとの食事中でも、帰りたくなれば、引き留める人を振り切って帰ってしまう。ごみを捨てられない性格がよりひどくなり、私が捨てたごみまで拾って自室に隠す。捨てようとすると引っ張り合いの大騒ぎになる。

 特に、以前、実験教室で部品などを使っていたせいか、壊れた電化製品を捨てるのを極度に嫌がるのには困った。目につかないよう隠しても、「あれを捨てることは認めない」と夜に家捜しを始めるので、ごみ収集日まで私の神経が持たず、早朝に壊れた掃除機を抱え、タクシーでごみ集積センターに行ったこともある。あの時払った3000円のタクシー代はいろんな意味で痛かった。

 これらのことで認知症を確信し、ずいぶん前から病院で検査を受けることを勧めていたが、冒頭のように難航。車の運転も続けていたため、私は生きた心地がせず、焦って「一度、気絶させて、救急車を呼べば……」とまで思いつめたこともある。さまざまな手を尽くし、17年の夏にようやく病院で検査を受けさせることに成功。神経内科でMRI(磁気共鳴画像)と長谷川式の検査を受け、認知症と診断され、しばらくはアルツハイマー向けの対処をしていたが、その後、父の行動の特徴から医師に脳の血流検査を勧められた。微量の放射線を出す物質を血管に入れ、血流を画像で確認する検査を受けると、見事に側頭部への血流が少なく、ピック病の診断を受けることになったのである。

病気とわかって安堵 しかし治療法はなく

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 ピック病と言われてみると、思い当たることは多かった。ごみ屋敷を作るという症状、異様に甘いものを食べるのもそう。父は部屋の中に何十袋もあめの袋を隠し、ひまさえあれば口にいれている。

 そして時計的行動。決まった時間にいつもの行動をしないと気持ちがおさまらない。お客さんがいても、ずかずか部屋に入り、まだ明るいにもかかわらず雨戸をしめる。ちょっとした遅れが待てず、イライラし始める。こうした行動も納得できた。

 思いやりがなくなったり、自分勝手になったり、無礼で嫌な性格になっていったのも病気のせいだったのか。ピック病の宣告は衝撃だが、どこか救われた気持ちになった。

 だが、ピック病はまだ解明されていないことが多く、治療法も改善薬も特にない。対策として、うちの場合は、担当医師と相談した上で、サプリメントとイライラを抑える漢方薬を服用している。さらにイライラなどの症状が進んだ場合は、抑制する薬が処方されることもあるようだ。

 あとは激怒させないよう、気に障ることを言わないことくらいしかない。しかし、病気とわかっていても腹が立つことは多く、父の側も、私が言うことは気に障るようで、怒らせないでいるのは正直難しい。そうした中で、ようやく車の運転をやめ、徒歩での買い物に移行してくれたのは良かった。一日に何度も、いろんなスーパーに出かけるのが気になるが、これも症状の一つとあきらめることにした。

 もう一つ良かったのは、介護保険を使い、筋トレを行う半日のデイサービスを「スポーツジムだよ」と偽り、行ってもらうのに成功したことだ。薬の副作用で、一時的に尿失禁がひどくなった時は、通所する朝に「下着も着替えて」と言うと、「そんなことまで口出しするな」と、殴り掛かられたこともあったけれど……。

 本人は「スポーツジム通い」を結構気に入ったようで、それに加え、週2回、各1時間、夕食の準備と掃除をしてくれるヘルパーさんが来る。そのおかげで、生活のリズムができ、私も何とか普通に近い暮らしができていた。そんな、やや油断していた時に、想像もつかない事件が起きたのである。(つづく)(田中亜紀子 ライター)

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田中亜紀子(たなか・あきこ)
 1963年神奈川県鎌倉市生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後、OLを経て、ライター。女性のライフスタイルや、仕事について取材・執筆。女性誌・総合誌などでは、芸能人・文化人のロングインタビューなども手がける。著書に「満足できない女たち アラフォーは何を求めているのか」(PHP新書)、「39.9歳お気楽シングル終焉記」(WAVE出版)。2020年5月、新著「お父さんは認知症 父と娘の事件簿」(中公新書ラクレ)を出版。

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5件 のコメント

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サービス付き高齢住宅をおすすめします

たるたる

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大変なご様子、胸が痛みました。ただ、子どもだからといって親の面倒を見る必要はないと思います。私事ですが、母の死後、父はサービス付き高齢者マンションに入り、そこで5年ほど過ごし、亡くなりました。私も病気で入院などあり、父との同居は不可能でした。サービス付き高齢者住宅は、子どもに一切の負担がかからず、おすすめです。認知症でも入れるところはあります。「介護はプロに」は至言だと思いました。そのような選択を取った父には感謝しています。

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どんな人でもなる

老人ホームスタッフ

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元々の人格はたいして関係ないと思います。症状の重さ、脳の壊された部分や壊れ方の違いで、たとえ高潔な方であっても、ひとたび認知に障害をきたせば、おむつをほぐして食べたり、大便を壁や寝具に塗りたくったりしてしまう例を幾度も見ました。認知症と診断されても問題行動が無かった人は、ただ運よく問題行動を起こす部分が壊されないまま往生されただけだと思われます。

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人格は変わります

NK

筆者を悪く言ってるコメントがありますが、本当に変わりますよ? うちは、認知症の母を、がん闘病中の妹が介護している状態ですが、働きながら世話をする...

筆者を悪く言ってるコメントがありますが、本当に変わりますよ?
うちは、認知症の母を、がん闘病中の妹が介護している状態ですが、働きながら世話をする妹を罵倒する母が見ていられません。
妹ががん闘病中だとは「分かってる!」と言う割に、髪の毛の抜けた頭をバカにする、妹が心不全を起こしかけていると病院で言われた時は爆笑する。
昔はこんな母ではありませんでしたし、今も一見普通に見えて、変なこだわりやワガママ、暴言が突然飛び出す。家族にしか分からない苦しみです。

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