夫と腎臓とわたし~夫婦間腎移植を選んだ二人の物語 もろずみ・はるか
医療・健康・介護のコラム
ホントに腎臓をもらっていいの? 本心を知ろうと夫に書かせた日記はまるで「デスノート」だった!
夫婦といえども、パートナーがなにを考えているのか、案外わからないものだ。本当は気が進まないのに、つい「いいよ」と口走ってしまったり。
2018年、私は、夫婦間腎移植を受けた。夫が「僕の腎臓をあげる」と言ってくれたからだ。だが、夫の厚意に甘えてしまっていいものか、手術をするギリギリまで判断がつかなかった。夫はやさしい人だ。本当は拒否したいのに、責任感や温情で自己犠牲を払うつもりだとしたら……。
「完治」と「妊娠」 二つの未来に色めきたち
16年に末期腎不全になり、「あなたの腎臓は東京オリンピックまでもたない」と医師に宣告された私は、生きる気力を静かになくしていった。末期腎不全になれば、致死的な症状を起こすことになる。治療法は人工透析か腎移植のいずれかだが、正直、どちらも気が進まなかった。
結果的に、腎移植を選んだ理由は二つあった。一つは、25年続いた闘病生活にピリオドを打てることだ。腎移植は、今のところ末期腎不全の唯一の根本的治療法とされている。
もう一つは、母親になれる可能性が広がることだった。これには、大きな意味があった。腎移植後は、腎不全に伴って崩れていたホルモンバランスが改善し、妊娠・出産の希望をかなえやすくなるのだ。
一度心を決めると、私は「健康」と「子供」という希望いっぱいの未来に色めきたった。
「大丈夫でしょ」 夫は軽く言ったが…
そんな私に、「僕の腎臓をあげる」と言ってくれたのが夫だ。
腎臓を提供する摘出手術の死亡率は限りなくゼロに近いし、二つある腎臓の一つを取っても、日常生活に支障はないとされている。
「だから、大丈夫でしょ」
と、軽い感じで夫は言った。
それ以来、夫は度々有給休暇をとり、移植前のあらゆる検査をこなしていった。「平気なの?」と聞いても「問題ない」と答えた。「怖くないの?」と聞いても「なんとかなる」で済まされた。それは間違いなく非常にありがたいことだった。けれど、怖さもあった。夫の愛情を「搾取」している感覚があったからだ。そもそも、健康な人の臓器を切り取るなど、道理に反しているのではないだろうか……。
1 / 2
【関連記事】
ドナー本人
いっこだけ
10年前に夫婦間移植しました。ドナーです。 2つあるんだから1つあげるよ!くらいに軽ーく勧めましたが、断固拒否する夫の説得に1年半かかりました。...
10年前に夫婦間移植しました。ドナーです。
2つあるんだから1つあげるよ!くらいに軽ーく勧めましたが、断固拒否する夫の説得に1年半かかりました。移植後のリスクがあまり知られていない現状があると思います。副作用による鬱や免疫力低下による感染など。でも夫婦が幸せならそれが1番です。
つづきを読む
違反報告
ホロリ
戻って欲しいmyLOVE
旦那様の愛溢れる日記の内容に、ホロリとしました。羨ましく、我が身をふりかえりました。私にも、そんな風に愛してくれる主人が居ましたが、癌で亡くなり...
旦那様の愛溢れる日記の内容に、ホロリとしました。羨ましく、我が身をふりかえりました。私にも、そんな風に愛してくれる主人が居ましたが、癌で亡くなりました。せっかく、愛してくれる旦那様の腎臓を移植していただいたのですから、仲良くお幸せに~☺️
つづきを読む
違反報告
ドナーの自由意志
質問者
夫婦間移植で、ドナーの自由意志はどのくらいあるのだろうか。愛があれば臓器提供、と期待されてしまう関係のなかでは、提供を申し出ないほうが難しくない...
夫婦間移植で、ドナーの自由意志はどのくらいあるのだろうか。愛があれば臓器提供、と期待されてしまう関係のなかでは、提供を申し出ないほうが難しくないだろうか。
夫婦愛あるいは共依存、どう呼ぶべきか分からないが、そのような関係性のなかで果たして医学的な理由で不可という以外に提供しないことは言いだしにくいのでは。その点が自分は怖いと思う。他人に見せない前提の日記にだって書けないこともあるのだ。
つづきを読む
違反報告