本田秀夫「子どものココロ」
医療・健康・介護のコラム
「マイペースで融通が利かない」「耳より『目から』の情報を優先」…自閉スペクトラム症の子に共通する特徴
Dくん(男児)は、1歳半健診のときに、まだ言葉が1~2個しか出ていませんでした。2歳頃から徐々に言葉は増えたのですが、独り言が多く、他人から話しかけられてもあまり返事をしません。たまに返事をするときは、相手の言葉を「オウム返し」することがしばしばあります。2歳後半頃からは、やりたいことが思うようにいかない時や、やりたくないことをさせられそうになった時などに、激しく泣いて騒ぐようになりました。3歳から、発達に気になるところのある子どもたちが通う児童発達支援センターに通い始めましたが、他の子どもたちと一緒に遊ぶことはあまりありません。ミニカーを何台も縦に並べる、手をパンパンたたきながら室内をぐるぐると走り回るなど、同じことを繰り返し続けることが目立ちます。
Eくん(男児)は、1歳過ぎから言葉が出て、とてもおしゃべりになりました。電車が大好きで、3歳後半には子ども向けの電車の本に書かれている特急の名前を全部覚えてしまいました。保育園では、興味のある活動にはとても積極的に参加しますが、興味のない活動になるとスッとその場を離れて、一人で電車のオモチャで遊んでいます。唐突に人に話しかけるのですが、自分の興味ある話題が中心で、それ以外のことを相手が話してもあまり応じません。小学校に入る頃には、電車の名前は「E353系」などの車両番号で呼ぶようになりました。何でも一番にやらないと気がすまず、他の子を押しのけて前に並ぼうとして、叱られると泣いてしまいます。
Fさん(女児)は、発達の遅れはありませんでしたが、人形遊びやママゴトが好きではなく、男の子たちと遊ぶ方が好きでした。小学校低学年までは、街で知らない人を見て、その人に聞こえるところで「あの人、太ってるね」などとズバッと発言するため、親が慌ててしまうことがときどきありました。小学校高学年からは、アニメやユーチューバーの動画に熱中するようになりました。中学に入ると、他の女子生徒たちはグループで行動するようになりましたが、Fさんはどこのグループに行っても何となく仲間に入れてもらえず、一人で行動することが多くなり、やがて学校に行くのがつらくなってきて、中学1年生の夏休み明けから学校を休みがちになりました。
一見、違うタイプ…でも共通することが
この3人の子どもは、一見、全く違うタイプのように思われます。でも、よく見ると、共通する特徴があります。それは、対人関係がうまくいかないことと、興味があることか、ないことかによって、意欲に著しい違いがあることです。「マイペースで融通が利かない」と言い換えてもよいでしょう。このような特徴が共通して見られ、そのために様々な形で生活に支障をきたすのが「自閉スペクトラム症」です。
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また、親や社会の過度な願望への過剰適応の影響もあります。 だから、自覚なく一番になろうとしたり、否定されたら(自分が一番になれる)自分の世界に引...
また、親や社会の過度な願望への過剰適応の影響もあります。
だから、自覚なく一番になろうとしたり、否定されたら(自分が一番になれる)自分の世界に引きこもってしまったり、正負に極端なわけです。
実は短期的な勝負に勝っても、変な癖がついて長期的に不幸になる場合もあり、親や周囲の教育も大事です。
大勝ちする者や勝ち続ける方が珍しいのはスポーツの世界を見ればわかります。
政治家や医者、弁護士、研究者なども、能力だけでなく人格の偏りが大きいと言われますが、生育背景やその後の閉鎖社会の出世や協力の構造の影響が積み重なっていくことは無視できず、誰が加害者なのかを探すより、改善可能な子供や若者が救われる状況を作る方が望ましいです。
それは回り回って、より多くの人に影響を与えます。
出世欲にかられた人や、そのしがらみに逆らえなかった人が、何を起こしたか、この数年のニュースによく出ています。
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普通と違う優先順位や思考回路の社会的意義
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世の中の親や教師の一部は我儘ですね。 優秀であってほしいと言いながら、普通でない事には不寛容です。 (偏差値という言葉が示すように能力の偏りでし...
世の中の親や教師の一部は我儘ですね。
優秀であってほしいと言いながら、普通でない事には不寛容です。
(偏差値という言葉が示すように能力の偏りでしかないですが。)
自分の好きな、あるいは社会的に有用と思われる領域の優秀さには敏感ですが、そう思わない領域の子供の成長を喜ぶことができない人も多いです。
官僚制度の文化もあるでしょう。
この文章によれば、僕も自閉症スペクトラムに該当するのでしょうが、角度を変えれば、普通の人の方が考え方が不自由にも思います。
よく目を凝らせば見える沢山の医療情報は、普通や常識的であるか否かよりも、時に患者さんのためになります。
サッカーの同じような場面でも3次元、4次元の繋がりをイメージできると、普通の選手ができないボールの止め方や蹴り方ができると、回答が全然変わります。
画像診断なんかも、普通の人に見えないものも見つけて意味づけし、患者の健康や願望に寄与するので、普通の人と違う答えもありえます。
音声情報にしても、「どういう音声の意味や価値を優先するか?」と言い換えれば、普通の指示などを無視するという発想も間違いではありません。
一方で、それが普通の人の多い社会で一般的か否か、子供の頃から生きやすいかどうかは難しい所です。
個人の中の偏りすぎた優先順位になんらかの正義を与えるのは誰かという問題もあります。
言い換えれば、天才という生き物たちが、社会の中で潰されずに生きていくシステムを組んでいく方法が必要と言うことです。
そして、生存本能やプライドも含めて、未熟さを徐々に変えていくための方策=「天才との付き合い方」を社会で考えていく必要があります。
それは何故かと言えば、通常労働はどんどん機械に置き換えられていく中で、普通に思いつかない技術を思いつくことが国家としても大事になるからです。
働き方だけでなく遊び方の改革も大事ですね。
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