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コラム

『書かずに死ねるか』 野上祐著

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すい臓がんで逝った記者の「生きた証し」

『書かずに死ねるか』 野上祐著

 映画監督、黒沢明の代表作の一つに「生きる」がある。1952年(昭和27年)の作品だ。市役所の市民課長を務める主人公は、黙々と判子を押すだけの無気力な日々を送っていた。しかし、胃がんで余命いくばくもないことを知ると、多くの住民の要望だった小さな公園の完成に残りの人生のすべてをささげる。

 朝日新聞記者、野上祐の「書かずに死ねるか」を読み始めると、この「生きる」が何度も頭をよぎった。市民課長にとっての「公園」が、野上にとっては本書であり、共に命を削るようにして残した「生きた証し」に思えたからだ。

 野上は福島総局デスクだった2016年1月、すい臓がんの疑いを指摘される。年齢は40代半ば。すい臓がんは、切除できなければ1年後の生存率は10パーセント以下といわれる。野上は2度、手術に臨んだが、切除はできなかった。しかし、それでも書くことを決してやめなかった。がんになった自分自身を取材して、政治評論とともに書き続けた。そして、本書出版のための原稿を書き上げて間もない昨年12月末、天に召された。出版の日まで生きてほしかったとの無念はあるが、自らの使命を果たした (あん)() 感を胸に旅立ったと信じている。

 野上と本稿の筆者は、会社は違えど、自民党の同じ派閥を担当した政治記者同士だった。常に周囲への気配りを忘れない、明るく親しみやすい野上に、筆者は出会ったときから好感を持った。共にがんという運命に向き合った「がん患者仲間」でもある。昨年夏、がんを経験した政治記者の集まりで数年ぶりに会ったとき、野上の外見のあまりの変わりよう、やせ衰えた姿に正直、ショックを受けた。だが、政治談議が盛り上がるにつれ、目を輝かし、生き生きと持論を述べる野上の姿に、たくましい記者魂を感じた。

 本書を読み進めると、途中で「生きる」が登場し、自分の心を見透かされたようで驚いた。

 「『生きる』は切実すぎます」「最後に完全燃焼できる仕事があるのは幸せだ」と記されていた。

 この言葉通り、人生最後の大仕事として本書という「生きた証し」を命がけで残した野上。同じ記者として心から敬意を表したい。合掌。(朝日新聞出版 1200円税別)

 (敬称略。読売新聞医療ネットワーク事務局長 池辺英俊)

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