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心療眼科医・若倉雅登のひとりごと

医療・健康・介護のコラム

休んでも改善しない「眼精疲労」 単純な目の疲れとは違う

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「眼精」は目に宿るあらゆる力 日本独自の感覚

休んでも改善しない「眼精疲労」 単純な目の疲れとは違う

 眼精疲労は、誰にでもありうる眼疲労と違って、十分に休んでも(例えば一晩ぐっすり寝ても)改善しない目や心身の疲労状態を指します。

 「精」は心身の力を意味し、「眼精」という語は目に宿るあらゆる力、目力を意味する古語です。「精を出して働く」という日本語がありますが、古くは「眼精を出して働く」とも言ったそうです。

 つまり、目は単に見るという機能だけでなく、そこにはいわば精神力のようなパワーが存在し、眼精疲労はその力が衰えた状態といえましょう。「眼精」に対応する英語はなく、日本独自の感覚かと思われます。

「目が重くて憂鬱」「ものを見るのがつらい」「目の息が続かない」

 眼精疲労では、必ずしも見え方が悪くなるのではなく、生活の上で耐えられないほどの心身の疲労を表わします。

 「疲労」というのも、科学的に定義するのは難しい感覚ですが、眼精疲労では眼痛・目のかすみ・まぶしさ・充血などの目の症状や、頭痛・肩こり・吐き気・ 倦怠(けんたい) 感・抑うつなど様々な形で表面化します。私の外来でも、「目が重くて 憂鬱(ゆううつ) である」「ものを見るのがつらい」「目の息が続かない」などと表現した方もおられます。

 眼精疲労は「腹痛」「腰痛」などと同様の症状名、状態名であり、必ず原因があるとの観点で診察をします。

 ただし、眼精疲労に含まれる症状そのものが、実はある疾患の主たる症状である場合は別に考え、注意しておくべきです。

 ドライアイなど目の表面の不具合はその代表格でしょう。また、 眼瞼痙攣(がんけんけいれん) も「まぶしい」「目がしょぼしょぼする」「目を開けているのがつらい」など、まるで眼精疲労そのもの訴えのようにみえてしまいます。

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201505_第4回「読売医療サロン」_若倉

若倉雅登(わかくら まさと)

井上眼科病院(東京・御茶ノ水)名誉院長
1949年東京生まれ。北里大学医学研究科博士課程修了。グラスゴー大学シニア研究員、北里大学助教授、井上眼科病院副院長を経て、2002年から同病院院長。12年4月から現職。日本神経眼科学会理事長、東京大学医学部非常勤講師、北里大学医学部客員教授などを歴任。15年4月にNPO法人「目と心の健康相談室」を立ち上げ副理事長に就任。「医者で苦労する人、しない人 心療眼科医が本音で伝える患者学」、「絶望からはじまる患者力」(以上春秋社)、「心療眼科医が教える その目の不調は脳が原因」(集英社)、医療小説「茅花流しの診療所」、「蓮花谷話譚」(以上青志社)など著書多数。専門は、神経眼科、心療眼科。予約数を制限して1人あたりの診療時間を確保する特別外来を週前半に担当し、週後半は講演・著作活動のほか、NPO法人、患者会などでのボランティア活動に取り組む。

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