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僕、認知症です~丹野智文44歳のノート

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当事者と考える”認知症にやさしいまち”…東京・町田で「Dサミット」

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前方向かって左端でマイクを持っているのが、ホンダの営業マンの小林栄作さん。デイサービスのNPO法人理事長と、洗車に取り組む利用者の男性も発表者として前方に座っています

認知症の人が洗車…困難乗り越えた情熱に感動

 午後は、三つの会場で計九つのセッションが開かれました。「交通」や「デザイン」「書店」など、認知症に関連する様々なジャンルの専門家が、自分たちの活動や先進事例を紹介しました。認知症の当事者や家族も発表者の一人として登壇して発言するスタイルをとり、私も「テクノロジー」のセッションに参加してマイクを握りました。

 「しごと」のセッションでは、認知症の人が地域の事業所などで働いて謝礼をもらうデイサービス「DAYS BLG!」の活動が紹介されました。このデイサービスの利用者が、町田市内のホンダの販売店で展示車の洗車・清掃を行っているのですが、その店舗の営業マンが、1年半がかりで会社を説得してこの事業を実現するまでの道のりを語っていました。

 デイサービスを運営するNPO法人の理事長や当事者との交流を深めながら、会社側にねばり強く提案し続けたそうです。最初はなかなか取り合ってもらえなかったのですが、なんとか上司の心を動かそうとするうちにプレゼンりょくが磨かれ、人事異動でやってきた新しい上司に提案したところ、興味を持ってもらえたのが転機になったといいます。

 その後もいくつかのハードルを一緒に乗り越えて取り組みをスタートし、軌道に乗せたのです。私も認知症になる前はトヨタ系列の販売会社で車を売っていたので、親近感を抱くとともに、何度はねつけられても諦めないねばり強さや情熱に感動しました。

適した業務なら働ける

 私は、5年前に認知症と診断された時は、娘たちを育てるために会社に残りたい一心で「洗車の仕事でもいいので、働かせて下さい」とお願いするつもりでした。それを切り出す前に会社側から、「本社で事務の仕事をやるように」と言われたことは、以前のコラムでもつづっていますが、当時、私なりに考えた「認知症でも続けられる仕事」が洗車だったのです。

 適した業務であれば、認知症だって働ける。そのことが実証されたように思い、うれしくなりました。

それぞれの地域で当事者の声を

 認知症関連のシンポジウムなどでは医師が講演を行うことが多いのですが、今回は珍しいことに、登壇者の中に医師が1人もいませんでした。こんなふうに、当事者や家族の話を客席で医師が聞くという機会がもっと増えてもいいんじゃないかと思います。

 自治体が開いた催しで、これだけたくさんの当事者が集まるのもなかなかないことです。行政と関連団体、住民がそれぞれ主体的に参加し、力を合わせて催しを盛り上げている様子を見ると、「認知症になっても安心して暮らせるまちづくり」の考え方が、一般住民レベルで浸透してきているのを感じます。

 どの地域にも、住民の人数や年齢層に応じた認知症の人がいます。自分の思いを発言できる当事者もたくさんいるはずです。この「サミット」がきっかけになって、当事者とその他の人たちがみんなで何かを作り上げていくような取り組みが、他の地域にも広がっていくといいと思いました。(丹野智文 おれんじドア実行委員会代表)

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丹野智文(たんの・ともふみ)

 おれんじドア実行委員会代表

 1974年、宮城県生まれ。東北学院大学(仙台市)を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年、「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」(現・一般社団法人「日本認知症本人ワーキンググループ」)を設立した。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月、開いている。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。

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