一病息災
闘病記
[レスリング リオ五輪代表 渡利璃穏さん]悪性リンパ腫(4)体作りからコツコツ
検査や治療で10か月の闘病の後、昨年7月には練習に顔を出した。「寝込んでいることが多かったから少し走るだけで足が痛くて。自転車から始めました」
同9月には毎日参加し始めたが、手の皮膚や、ブリッジでマットにつけた頭もジリジリ痛んだ。ペタンと床に着いた股関節は硬くて開かない。マットで激しい練習に励む仲間を見ていて思った。「あの人たちはバケモノ。私は普通の人のレベルを取り戻すところから始める」。コツコツ体作りに取り組んだ。
渡利さんは小学1年生の時、母に勧められて地元松江市のレスリング教室に通い始めた。「球技の方が好きで早くやめたかったけど、昔はお母さんが怖くて」。中学3年生の時に全国大会で3連覇中の王者を破って優勝し一躍注目を浴びた。自分では「やりきった」と満足し、レスリングをやめる決心をしていた。思い込んだら揺るがない気持ちの強さがある。
そんなある日、地元のクラブをレスリングの“神”が訪れた。吉田沙保里選手にアテネ五輪の金メダルを見せられ、「一緒にやろう」と誘われたのだ。「あこがれの沙保里さんがわざわざ来てくださって、あのメダルを見たらやめるなんて言えませんでした」
吉田選手に導かれて続けたレスリング。「もう一度マットに」。強い思いが支えになって、走るのもつらかった身体は日々のトレーニングで少しずつ回復していった。
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レスリング リオ五輪代表 渡利
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