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25歳で希少がん…つらい治療もとことん前向きに がんノート代表理事・岸田徹さん(上)

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紛争地帯で危機突破の経験…「今回もなんとかなる」

――30分ですか。命に関わる病気を宣告されたのに、なんとも立ち直りが早いような気がしますが。

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 同席していた両親が「この世の終わり……」という顔をしていたので、「とにかく親を慰めないと」という気持ちでした。自分は気丈に振る舞わなくてはと思ったんです。

 学生時代、ずっと夢だった世界一周に挑戦した時の経験も大きかったように思います。現地の旅行会社にだまされて紛争地帯に入ってしまい、銃を向けられたり、安全な地域に脱出するために軍警察の封鎖をジープで突破したりと、危険な目にも遭いました。「あの絶体絶命のピンチをくぐり抜けることができたんだから、今回もなんとかなるんじゃないか」と。

 医師からは、「5年生存率は、五分五分だね」と言われ、「こんなに転移していても、半分の確率で生きられるのか」と考えたら、ますますどうにかなるような気がしてきて。「がんになってしまったのだから、できる限りの治療をやるしかない」と、腹をくくりました。

治療後、再びがんに…初めて思った「死にたくない」

――とことんポジティブですね。悩んだり、落ち込んだりしたことはなかったのですか?

 告知後、すぐに抗がん剤治療が始まったのですが、副作用もあって、髪が全部抜けたり、歯が痛くなったり、便秘から () になったり。「前を向いて治療に取り組んでいこう」と決心してはいたのですが、高熱が続いた時は気持ちも弱くなり、「なんで自分が……」と思いましたね。

 そんな苦しい治療の間、お見舞いに来てくれた友人たちが、ノートにメッセージを書き込んで励ましてくれました。その中に、「THINK BIG」という言葉を書いてくれた方がいたんです。「大きく考えろ、視野を広く持て」というような意味ですね。僕は今、このつらさしか見えていないけれど、それは人生全体で見たら一つの通過点でしかない。この先、長く生きていけば明るいことがきっとある。そう思ったら、少しだけ気持ちが軽くなりました。 

――治療を終えた先に長い人生が続いていることが、イメージできたんですね。つらい治療を乗り越えるには、その先に希望があるということが大切なのではないでしょうか。

 最初の治療では、一生懸命自分を奮い立たせて、悪いことは考えないようにしていました。ところが、それから2年と少したった2015年の夏、今度は精巣にがんが見つかったんです。

 再発の場合、これまでに受けた治療では効果が期待できなかったり、回数を重ねると重大な副作用が出る場合があったりするので、治療の選択肢は最初の時よりも狭まります。多くの不安もありましたが、僕の場合は、がんは精巣のみで転移はないだろうということで、この時は精巣のがん摘出手術のみを受けました。

 当時、「悩んでいるがん患者さんたちに向けて一歩踏み込んだ患者側の情報を」と思い、「がんノート」という患者さんのインタビューウェブ番組を始めていました。人生でやり残したことがたくさんあると感じ、初めて「死にたくない」と思いました。 

岸田 徹(きしだ・とおる)  NPO法人がんノート代表理事。1987年生まれ。大阪府高槻市出身。立命館大学を卒業後、東京のIT関連企業に就職。2012年に胎児性がん、15年に精巣がんと告知される。14年にがん患者のインタビューをネット配信するサイト「がんノート」を開設し、16年にNPO法人化した。

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