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医療・健康・介護のコラム

[女優 小沢真珠さん](上)子育てと仕事で大忙し…ふと「私、明日生きてるかな」と思うときも

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小沢真珠

 フジテレビ系ドラマ「 牡丹(ぼたん)薔薇(ばら) 」(2004年)で演じた悪女ぶりが評判を呼び、その後の活躍の大きな転機になった女優、小沢 真珠(まじゅ) さん。多忙な女優業のかたわら、家事も手を抜かず、子育てに奮闘する毎日の様子などをうかがいました。(聞き手・藤田勝、撮影・武田祐介)

――実家が神楽坂(東京都新宿区)。今も近くに?

 父が新聞記者で転勤が多く、子どもの時に大阪に住んだこともありますが、中学生以降はずっと神楽坂です。石畳の街並みがリトル京都という感じでいいですね。だからなのか、撮影でよく行く京都も大好きで、特別な感じがしないです。一方で神楽坂はフランス人が多く住んでいてフレンチの要素もあるので、引っ越してきた時はすごくおしゃれな街だなと実感しました。実家で小型犬のペキニーズを2匹飼っていて、ふだんの犬の散歩が神楽坂のメインの通り。ちょっとぜいたくですね。

子どもの頃からスカウト慣れ 人生が変わったのは17歳

――高校時代にスカウトされた時の心境は?

 子どもの時から声をかけてくれた事務所が多く、いつかはこの世界に入るのかなという気はしてました。でも厳しい家庭で、そういうのは禁止という感じだったので無理かなとも。事務所の人の名刺も破られたりしてました。高校生になって、やっぱりやってみたいという気持ちになっていた時に、今の事務所にスカウトされました。父はやはり最初「うーん」という感じだったんですが、私も少し反抗期だったので自分の意志を貫いて、最終的には「しっかり仕事をするのも悪くないか」ということで認めてもらいました。17歳で人生が変わりました。

最初は仕事が怒濤のように 欠席が多すぎて学校もかわり

――仕事を始めてどうでしたか。

 演技の勉強を何もしたことがなくて、ゼロからスタートでした。最初はCMやドラマの仕事が 怒濤(どとう) のように入って、そんなに忙しくなるとは思ってもいませんでした。私立の女子高に通っていたのですが、欠席が多すぎて学校もかわることになりました。でも調子がいいのは最初だけで、そのうち仕事が減っていきました。それからですね、自分が本当にやりたい仕事なんだからと、気合を入れ直したのは。

 最初に運良く、いろいろな現場を経験させてもらったのはありがたかったです。

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