心療眼科医・若倉雅登のひとりごと
医療・健康・介護のコラム
痛みや光過敏……感覚異常の無理解は社会の損失助長
眼科で測定する視力 その人の見え方を表してはいない
眼科で測定する視力が、その人の見え方を表わしているというのは、明らかに間違いだということは以前にも説明しました(2015年7月30日の コラム 参照)。でも一般人だけでなく、医者でさえもその間違いを犯してしまいがちです。
Kさんの目の状況が周囲に理解されないのは、視力が良いことに加えて、「我慢すれば使える」からです。目を開けて見たり読んだりしている姿を見れば、人はそれが苦もなくしていることだと錯覚し、苦行を強いられているとは思いもよりません。
そうした無理解や、救済しようとしない社会は、Kさんのような意欲のある方が能力を発揮して社会に復帰する機会を奪っています。つまり、社会の損失を助長しているともいえるのです。
言葉は空虚にして、泡のごとく消えてしまう運命にあるかもしれません。でも、せっかく我々は言語という表現手段を持っているのですから、医療や福祉でも、数値などの見える指標には限界があることを認め、言葉でしか表現できないものへの配意が制度上も必要だろうと思います。(若倉雅登 井上眼科病院名誉院長)
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