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ケアノート

医療・健康・介護のコラム

[阿川佐和子さん]父・阿川弘之みとり 今は母と

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観察続け 楽しむ精神

 エッセイストの阿川佐和子さん(64)は3年前、父の作家・阿川弘之さんを94歳で亡くしました。亡くなるまでの3年半の間、病院で過ごす弘之さんの元に通い、現在は母のみよさん(90)を介護しています。佐和子さんは「介護の中で観察を続けて小さなおかしみを見つけ、現状を楽しめるように心がけています」と話します。

[阿川佐和子さん]父・阿川弘之みとり 今は母と

「正直、弱ってくる親の姿は見たくない。でも、そうなってしまったものは、おもしろがって見るしかないのではと思っています」(東京都内で)=奥西義和撮影

 両親は2人暮らしでしたが、2012年に父が自宅で転んで頭を打ち、病院へ。検査の結果、 誤嚥ごえん 性肺炎を起こしていることも分かり、入院することになりました。

 退院したらどうするか、が問題でした。すでに母の認知症が進んでいて、父が家に戻ると体力的に支えられないだろうと判断しました。4人きょうだいで娘は私1人。私は当時独身だった上に、私になら父もわがままを言いやすいこともあり、介護を覚悟しました。これまで親に世話になったんだから、きちんと世話をするのも子の義務であろう、と思っていました。ただ、仕事を半減させないと……などと考え、どんどん暗い気持ちになっていきました。

 参考になったのは、同世代の友人の意見です。多くは介護が必要な親族を抱えていたり、介護経験があったりします。「まずは1、2年を乗り切れば何とかなる。全力で介護の態勢を作ろう」と力んでいた私に、女友達は「介護は10年、へたすると20年続くかも。それじゃあもたない」とピシャリ。ハッとしましたね。こうした心構えや具体的なアドバイスが役立ちました。

  《結局、知り合いに紹介された病院で、弘之さんは介護を受けながら療養生活をすることになった》

 父は食べることをとても楽しみにしていて、病院の食事を気に入ってもらえるか、心配しました。初日に、「おいしい。しばらくここにいさせてもらう」と言ってくれ、ほっとしました。理解のある病院で、許可を得て病室に電磁調理器を持ち込んで「すき焼き」をしたこともあります。亡くなる前日も、私が持って行ったローストビーフをおいしそうに食べ、「ステーキもいいな」と話すほどでした。

 通うのは週1回、必ず母と一緒。ただ、認知症の母は出かける準備に時間がかかり、どうしても遅刻してしまう。すると、待っていた父に「二度と来ないかと思った」と不機嫌に言われ、勘弁してほしいと思うことの繰り返しでした。ただ、父が「母さんと別々でここで死ぬのかな」とつぶやいた時には、胸が痛みましたね。結局、ここで最期を迎えました。

  《現在、みよさんは以前から家事をしてくれたお手伝いの女性に平日みてもらい、週末はきょうだいで交代しながら家を訪れている》

 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)できょうだい同士が連絡を取り合い、いつ誰が母のところに行くのかという当番表を弟が作ってくれています。

 私が行く時には一緒にお風呂に入ります。転んだら困ると思って始めたのですが、体の様子も把握できます。ただ、母から「あんた、おなかが出てるわね」と言われたのは想定外でしたが。

 さらに普段から注意していると、おもしろいことが見つかります。物の名前を尋ねられても答えられない母が「覚えていることだってあるのよ」と反論するので、じゃあ何かと聞くと、「何を覚えているかを忘れたよ」と切り返してきて、笑ってしまいました。

 現状を楽しもうとすることが大事なんです。細かいことがプラスに感じられるようになります。

  《介護の真っ最中、体調は日々変化していくことから、観察することの重要性を痛感したという》

 父はクラシック音楽が好きだったので、病室にカセットデッキを持って行ったのですが、「もういい」と断られたことがあります。趣味も以前と変わってしまうことがあります。また、本も単行本は重すぎていらない、文庫本がいいけれども「字の小さな文庫本は読めない」と文句を言います。どういう体の状態なのかは、日々変化していきます。「相手の今の楽しみは何だろう」と探りながら、介護を続けるしかないのだろうと感じています。

 そして介護する側は「ズル」が必要だと思います。母のところに行く予定が遅くなり、「仕事で遅くなって」と言い訳をしたことがあります。実はゴルフに行っていました。プレー後の疲れた顔で母に会うと、母から「あんた疲れているわね。ここで寝ていなさい」なんて、逆に心配されたりして。小さな「ワル」をして、ちょっと自分に負い目があるほうが、相手に優しくできて、余裕も生まれると思います。(聞き手 崎長敬志)

  あがわ・さわこ  1953年、東京都生まれ。慶応大学卒業後、81年からテレビの仕事を始め、キャスター等を経て、現在は「サワコの朝」などに出演中。エッセーや小説の著作も多数。これまでの介護体験をまとめた「 る力 アガワ流介護入門」(医師の大塚宣夫さんとの共著、文春新書)を6月に出版した。

  ◎取材を終えて  佐和子さんは40代の頃から、いつかは親の介護をしなければいけない、と暗い気持ちになっていたという。「でも開き直れば、何か方法を編み出せるもの。考えていた時の方が暗かったです」と振り返る。両親の介護について、どんなにつらい話でも必ずユーモアを交えながら話してくれた。その明るさを努力して持ち続けることが、介護の長丁場を乗り切るためには必要になってくるのだということが印象に残った。

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