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医療・健康・介護のコラム
乳がんのショック乗り越え「再び誇り高く美しく」をモットーに40年~勇退する乳がん患者会「あけぼの会」会長のワット隆子さんに聞く~
ちょうど40年前の1978年10月に発足した乳がん患者会「あけぼの会」。会長として活動を引っ張ってきたワット隆子さんが勇退を決めました。これまでの歩みを振り返りながら、患者会の役割、乳がんをめぐる変化や課題について語ってもらいました。(聞き手・中島久美子、撮影・米田育広)
「賢く、自立した患者になってほしい」 その理想に近づいてきた
――引退を決めた理由を教えてください。
「いつ身を引くか」は、ずっと考えていました。きりの良い40年までは、というみんなの後押しもあって今日までやってきました。
理由を一つ挙げるなら、乳がん患者の自立でしょうか。「賢い患者になってほしい、自立してほしい、知識も自分なりに得てほしい」。一貫して、そう伝えてきました。今は、自分の病状をはっきりと把握して、やらなきゃいけないことをやるという理想の姿に近づいている。誰が教えるともなく、患者は自立できています。その点で、私の一つの役割は果たせたと思うところはあります。もちろん、私だけの力ではないとしても。
――医師と良い関係を築こう、患者が医師を選ぼうとも呼び掛けていましたね。
医師を選ぶのは、とても大事なこと。特に乳がんは、ほかのがんと比べても長く付き合うことになるので。医師とよい関係が築けているかを確かめるポイントは、受診した帰り道の自分の気持ち。気分が良くなければ、受診前よりも落ち込んでいるようならば、これは改善の余地がある。医師に会った後の気持ちが晴れやかではない、もやもやしている、嫌味を言われたとか、傷ついたとか、打ちひしがれて帰るようだったら、考えたほうがいい、先は長い、とアドバイスしてきました。
会設立当初はがん告知が進まず 病院は会のパンフレット配布を拒否
――会を設立した当初は、がん告知が進んでいませんでした。
あけぼの会のパンフレットを病院内に置いて、患者さんに配ってほしいと依頼しても「ノー」。原則、がんを告知していないのにパンフを渡せば、「私、がんなの? 言われていないけれど」と、結果的に患者に告知することになる、と。だから「協力できない、ごめんね」という時代でした。
――医療機関の協力を得るのが難しいなかで、メディアを通じて仲間を募ってきましたね。
そう。私が手術を受けたころは、がんを悲観して患者が自殺したり、子どもを道連れに心中したり、といったニュースが相次いでいました。「乳房を切ったら女じゃない」と離縁されたとか、婚約を解消されたとかね。そういう話がいくらでもあって。私自身も、手術後にショックで精神科を受診しました。立ち直ったけれど、同じような悩みを持つ人とつながりたい、と考えて新聞に投書したのです。
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